土門拳記念館が開館して今年で30周年----
今回 企画展示室では、「風貌」と題した著名人の
肖像写真を展示していました。。。
志賀直哉に谷崎潤一郎、島崎藤村に土井晩翠。。。。
そうそうたる面子が顔をそろえていました
「志賀直哉」
まさに、被写体との対峙です
土門が選んだ被写体は、
窓辺に腰掛けたり、ピアノを弾いたり、まっすぐにレンズを見つめていたり。。。
この志賀直哉の写真は大好きです
まるで、ひとり思いがけず、ふっと息を小さくついた様な
佇まいの自然な写真です。
土門は肖像写真についてこういいます
「撮られている人に撮られているという事を全然意識させない
写真こそ今後最大の課題である。。。。」と
これは、なかなか難しいものだと思います
ここで、土門は多くの時間を費やし、粘り強さという執念を
見せたようです。。。。
「絶対非演出の絶対スナップ的、肖像写真
いい写真というのは写したのではなく 写ったのである------
僕はそれを、鬼が手伝った写真と言っている・・・」
写した写真が、写った写真になるまで、きっと彼は
何度も被写体に逢い、時間をかけ、時を待ったと想像出来ます。
もちろん彼ら達の情報収集にも余念がなかったのです。
「梅原龍三郎」
「気力は眼に出る-----
生活は顔色に出る----
教養は声に出る-----
しかし、悲しいかな声は写真のモチーフにならない。
年は後ろ姿に出る。悲しみもである-----」
そうです。。。皆、被写体は眼にチカラがあるのです。。。。
作家、画家、作曲家、女優。。。。
やさしい眼差しに、人を射るような眼光
表現者には、眼からエネルギーが発せられています。
そして、カメラのレンズを覗く 土門自身の眼光もまさに
鋭いものだったに違いありません。
写真は隠そうとしても写し取るのです
カメラの前で、人間の意図など何の意味も果たしません
人の顔とは何て興味深いものなんでしょう!!!
たくさんの人を 撮ってきた 土門のレンズは
人生や、こころの奥まで写し取ってしまうのです。