老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

   男木島燈台

2019-02-25 10:53:18 | 俳句

男木島へ水仙の花を見に。

男木島は何年ぶりか。水仙の咲く季節は二回目。幾度となく訪れた好きな島だ。一番近い島が鬼ヶ島、そして次が男木島だ。

燈台へ行く道の辺に水仙が美しかったと記憶があった。

        

何故か水仙の咲いていた季節のイメージが記憶と少し違っている。

       

万国旗がはためく燈台に違和感が。

ちなみに最近は燈台の裏手の山の斜面を生かして水仙を咲かせているらしい。山へ登って行く人を見ていると険しくて、ちょっと私には無理みたいだ。降りて来た男性が「途中で引き返した。それぼどでも、、、、」と口を濁すのを聞いて、水仙の山はパスをした。

      

浜辺に流木を利用したベンチが。

丁度、昼のお弁当時刻だ。

       

皆さんが並んで食べている。空くのを待って港で買った(サザエの焚き込み飯)を開く。ボリュームがあり、それなりに美味しかった。

            子ら拾ひ集めしひとつ桜貝

        

    

眼の前を色んな船が通る。

 

         燈台は無言のうちに呼んでいる

         沖ゆく船を呼んでいる

         雲と空と船と、、、、、、

半世紀も前の、  全国合唱コンクールの課題曲の一節が さあ 俳句でも一句と思っていると、ふいに浮かんできた。毎年、夏休みは合唱の練習で学校に通った想い出が。ああ良い時代だった。

夏休みの学校の、いつもと違った雰囲気が甦る。空、校舎、運動場、音楽室、ピアノ等々、まな裏を走馬灯のように駆けめぐる。

             陽炎のただ中に我が余生かな

 

    

今日はここへは独りで来た。こんな賑やかな水仙祭り、(静かな燈台を思って来た)が、矛盾もしている。実際は静かなウイクデーに来ようと考えていたが、もし独り来て途中で不測の事態に陥った時に誰にも逢わなかったら困る、日曜日で多くの人がおれば誰彼に逢うだろうと計算をしていたのに、燈台に万国旗がはためいているのが想像外だとは私のエゴと気づいた。

     

数か月前から、日ごとに体力が落ちてゆく。 自分独りで、どこまで単独行動ができるか今回は試してみた。

吟行をする時は他人に歩調を合わすのが苦手。協調性のなく独善と云われようと独りが楽しい。ずいぶんと我儘になっている自分を知っているから、まだ一人旅は可能か挑戦をやってみた。7~8キロは歩いたかな?

俳句は出来なかったがそれよりか、どうにか島歩きを楽しめたことの方が嬉しかった。

 

             どこにゐても匂ふ水仙島時間

 

 

 

コメント
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