老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

阿波紀行(脇町) 司馬遼太郎 

2015-08-28 07:29:27 | 俳句


 阿波へゆくことにした。、、、、東西一文字に流れている吉野川を見、その下流の大きな野を見たい。  
阿波は南街道である。道は、文武天皇のときにさだめられた制で、、、、、、全国を七道にわけ、、、、
司馬遼太郎が、週刊朝日に1988年4月~1988年8月に連載した、街道をゆくの阿波紀行の最初のページだ。


         吉野川の南岸の山並              吉野川の北岸の山並

吉野川の北岸を 西へむかっている。
讃岐山脈が右手にあって上流にむかうにつれて迫ってきた程度が変化かもしれない。つい眠くなった。
ふと覚めると、景色が一変していた。並木通りにいて、道の左肩は、堀川になって深く落ちている。家並から往来する町の人まで、いままでとちがった風情なのである。
「ここは、どこです。」
「脇町へゆけとおしゃたでしょう。そこです。」運転手さんがいった。



阿波のよさは、ひょとすると脇町に尽きるのではないかとかねがね思ってきたが、来るのははじめてだある。白壁塗りや土蔵造りの江戸期、明治期の商家が軒をならべているときいたのだが、車を降りたとたんにみえたのは、城のように大きい土蔵造りの建物だった。
「あれは、なんです」
「スーパーです」と運転手さんがいった。
しゃれたものではないか。脇町のよさは土蔵造りの家並だから、それを町造りの基調にして、そういう個性がさらに再生産されてスーパー・ストアができあがっている。しかも模倣の薄っぺらさを感じさせず、真正面から、四つに取り組んで設計されているようなのである。



小路に入ると、明治時代か、それ以前の景色になる。
中通りと呼ばれるあたりを歩いていると、ずっしりとした白壁に出くわした。寝床構造の土蔵がながながとつづいている。その白壁に「脇町図書館」という白文字が、陽刻されていた。
小さな開口部が穿たれていて、そこだけは、壁の腰が なまこ塗りになっている。くぐってみると、中庭になる。敷石がしかれていて、まことに清雅である。



中庭をかこんで、廻廊のようにして長い棟の建物が、組みあわされている。



図書館の中庭に残っているお稲荷さん。 図書館は古い農協の建物を改装、改築したらしい。
中庭には、古い倉庫を改装した中に 御神輿も展示、保管されている。


       藍蔵。

吉野川を通じて舟運が行われた。舟に荷をのせれば東方の海まで運ぶことができた。



       柳の芽かつて藍屋の舟着場    葉
       ともがきは名人ぞろひや阿波踊   葉

私は、司馬遼太郎の愛読者のひとりで、末席のほうにいた。


       

    しりとり俳句から生まれた句

          釣瓶井戸残る色無き風の町
          ありて無き島の時間や鰡を釣る
          吾れに戻る夜業のドアを閉めてより 
          御陵に頭を下げて秋耕す

               オソマツ
        
コメント
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