はぎやまのりへいの日常

読書、映画、美術展、そしてキャリア教育。
好奇心と愛で書き綴ります。

Vol.69 東京タワー

2010-09-01 04:51:59 | 文学
 今さらではあるが「東京タワー」を読んだ。

 この「東京タワー」や「おでんくん」が大当たりする前からリリーフランキーには注目していて、家の本棚には4冊の文庫版のエッセイがある。
 「東京タワー」はリリーフランキーが家族のエピソードを中心に自分の半生を小説にしたもので、エッセイで既に書かれている話が多いので僕は内容をほとんどあらかじめわかっていた。
 キャストがリリーフランキー本人とギャップがあり過ぎるし、美化された過度な脚本なんじゃないかと思って、映画やドラマは興味が持てずに結局は見ていない。
 そんなわけで、何で今さら「東京タワー」なのかと云うことなのだけど、理由は簡単で最近ようやく小説が文庫化されたのである。

 小説の後半でリリーさんの最愛のオカンが病気で亡くなってしまう。僕はやはり父が亡くなった時のことを思い出す。
 
 僕が実家に帰るのを待って、いよいよと云う感じで病院に父を連れて行くとそのまま入院となった。弟も来ていて個室の病室に家族、親戚皆揃った。
 「個室になったらもういかんぜよ」とリリーさんのオトンは言った。その通りだと思った。
 母親は看病で疲れきっていたし、僕は二度と良くならないのが分かっていながら苦痛を必死にこらえる父親の姿を見ているのがつらかった。
 父親がこの世を去るその日、近くの百貨店で新しいパジャマを2着買ってきた。弟は一旦自分の家に帰った。
 僕の長男はまだ幼稚園にも行っていなくて、母親は疲れていたので僕らもその日は家に帰ることにした。明日はタッパーと何とかを持ってこなくちゃね、と母親は明日持ってくるべきものをメモに書き出していた。
 僕はなんとなく今日が最後になるんじゃないかなと薄々思っていた。母親と長男と妻を家に送っていったら、病院に戻って父親の側にいてやれば良かったとずっと後悔している。
 その夜はいつ呼び出されても大丈夫な様にお酒は飲まずにいた。
 夜中を過ぎて僕の思った通り、病院から電話がかかってきた。母親と僕とで病院に駆けつけると、既に父親はこときれていた。苦痛とまでは行かないけれど、少し苦しそうな表情をしていて、おそらく亡くなる寸前には必死で「お母さん」と母親のことを必死で呼んだんだろうなと想像できる。うちの父親は仕事から帰ってきて母親の姿が見えないと、ただいまを言うより先に「お母さんは?」と言った。亡くなる間際は自分の身体が思う様にならなくて相当母親にわがままも言ったようだけれど、とにかく何をするにも一番は「お母さん」で生きがいは家族だった。でも、そんな父親を一人で逝かせてしまった。本当に申し訳なく思う。
 
 伊坂幸太郎のデビュー小説に死んでいく人の手を握る役割の女性と云うのが登場する。
 「東京タワー」では、オトンも見守る中、息子に手を握られてオカンは旅立つ。
 僕が亡くなる時は妻に手を握っていてもらいたいと思う。
 親父にそうしてあげられなかったことが悔やまれる。親父ごめん。

 人は満月の時に生まれて、三日月に死ぬ とリリーさんのオトンが言っていた。
 そういえば、うちの長男が生まれた日は満月だったし、下の子の時ははっきりは覚えていないけれど満月かそれに近い月だったはずだ。
 親父が死んだ日はどんな月だったんだろう。もうすぐ春がくる、風が強い日だった。