現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です
偶然に有名人を見かけることってありますよね。
今までの偶然で一番感動したのはですね、美智子様。
有名人という言い方はどうかと思うけど、そう皇后様です。
別に皇室フリークというわけでもなく、思想もあるわけでなく rightでなくでも感動でした。
調度、桜の終わる時期でしたから、今頃ですね。
交通規制にあって、進路を変更すると遠回りになるので規制が解けるまで
そこで待つことにして車を降りると「もうすぐいらっしゃいますから」とかいって日の丸を渡され、
何のこっちゃ?と思いつつ人が集まっている通りまで歩きました。
そこにやってきたのは・・・そう、美智子様の乗った車。こちらに向かって手を振って下さいました。
もらった日の丸を千切れんばかり振りましたよ。わたしも。何だか大感動だったのです。
無視しているみたいで悪いけど、この時、天皇陛下もご一緒でした。陛下ゆるしたまへ
ほんの数秒の出来事でしたが、最高の品格を持った女性だと感じました。それが伝わってくるのです。
で、余談です。偶然見かけた有名人で、一番うれしくなかったのは麻原彰晃。
空港の搭乗口に行く検査場で、私の前に立っていて、しょーこーの後にゲートを通った・・・同じ飛行機だった・・・
まだ悪さをするずっと以前だったし、選挙にも出る前だったのでしょーこーの知名度も低い頃でした。
白いパジャマの上下みたいな服に草履履き、結構背が高くて、長い髪。弟子?や奥さんも一緒でした。
話を戻します、美智子様とあんな許せないショーコーを並べて書くなんてねえ。
天皇、皇后両陛下は結婚50周年ということで、会見を開かれていましたが、
今から25年前、25周年のときの会見の様子が並べて報道されていました。
当時この会見を見た覚えがあります。あれから25年も経ったのかあ・・・・早っ。
皇后様に点をつけるなら?の問いに陛下は、点ではなく努力賞、
皇后様から陛下にはやはり点ではなく、感謝状をと・・・。この時、実に名言だと思いましたねえ。
25年をさらに加えての会見には、互いを思いあって乗り越えてきた歳月の重みを感じました。
民間から嫁いで辛いこととか一杯あったと思うのですよ。
今でも悩んだり、心痛めることは一杯あると思うのですよ。
お二人のあの穏やかな佇まいは一体なぜなのだろう?
答えが朝日新聞の天声人語にありました。新美南吉でんでん虫の悲しみを取上げて、
でんでん虫はある時、背中の殻に悲しみがたくさん詰まっているのを知って、とても耐えて生きていけないと『お友達』に相談する。
どのお友達も同じように「わたしの背中の殻にも悲しみは一杯だ」という。
そして気づく、悲しみは誰でも持っている、ならばわたしはわたしの悲しみを耐えなくてはと。でんでん虫は嘆くのはやめた
と、このようなお話。ネットでは朗読なんかも聴けるところがあります。
美智子様も以前に講演でこの物語を取上げたことがあるそうです。
ちょっと辛いことがあると、世界中で自分一人が苦しいような気になるけれど、
みんなそれぞれに抱えているものがあるんですよね。
50年間いろんな悲しみに耐えてこられて、今尚それをおろしたわけではないはずです。
あのエレガンスには悲しみがいっばい詰まっていて、
それに耐えていることが典雅としてわたしたちの目に映る要素のひとつのだと思うのです。
時には、皇室など本当に必要なのだろうか?と不遜なことを考えたりもします。
しかし、一度間近でその姿を拝見すると納得するんですよ。大げさだけど、国の父と母じゃ!!と
言葉では説明できないけど脈々と代々続いてきた営み。息吹。
跡目は男系男子でなくてもよかろうなどとは軽々しくはいえません。
そりゃ、時代は変化しますし、それに調和することも大切です。
でも芯にあるものは変わるべきではない気がします。
日本人の芯にあるのが、皇室なのかなと思いました。
両陛下、25年前とあの佇まいはちっとも変わっていませんでした。
一国民として、身体を大切にしていただきたい。
偶然に有名人を見かけることってありますよね。
今までの偶然で一番感動したのはですね、美智子様。
有名人という言い方はどうかと思うけど、そう皇后様です。
別に皇室フリークというわけでもなく、思想もあるわけでなく rightでなくでも感動でした。
調度、桜の終わる時期でしたから、今頃ですね。
交通規制にあって、進路を変更すると遠回りになるので規制が解けるまで
そこで待つことにして車を降りると「もうすぐいらっしゃいますから」とかいって日の丸を渡され、
何のこっちゃ?と思いつつ人が集まっている通りまで歩きました。
そこにやってきたのは・・・そう、美智子様の乗った車。こちらに向かって手を振って下さいました。
もらった日の丸を千切れんばかり振りましたよ。わたしも。何だか大感動だったのです。
無視しているみたいで悪いけど、この時、天皇陛下もご一緒でした。陛下ゆるしたまへ
ほんの数秒の出来事でしたが、最高の品格を持った女性だと感じました。それが伝わってくるのです。
で、余談です。偶然見かけた有名人で、一番うれしくなかったのは麻原彰晃。
空港の搭乗口に行く検査場で、私の前に立っていて、しょーこーの後にゲートを通った・・・同じ飛行機だった・・・
まだ悪さをするずっと以前だったし、選挙にも出る前だったのでしょーこーの知名度も低い頃でした。
白いパジャマの上下みたいな服に草履履き、結構背が高くて、長い髪。弟子?や奥さんも一緒でした。
話を戻します、美智子様とあんな許せないショーコーを並べて書くなんてねえ。
天皇、皇后両陛下は結婚50周年ということで、会見を開かれていましたが、
今から25年前、25周年のときの会見の様子が並べて報道されていました。
当時この会見を見た覚えがあります。あれから25年も経ったのかあ・・・・早っ。
皇后様に点をつけるなら?の問いに陛下は、点ではなく努力賞、
皇后様から陛下にはやはり点ではなく、感謝状をと・・・。この時、実に名言だと思いましたねえ。
25年をさらに加えての会見には、互いを思いあって乗り越えてきた歳月の重みを感じました。
民間から嫁いで辛いこととか一杯あったと思うのですよ。
今でも悩んだり、心痛めることは一杯あると思うのですよ。
お二人のあの穏やかな佇まいは一体なぜなのだろう?
答えが朝日新聞の天声人語にありました。新美南吉でんでん虫の悲しみを取上げて、
でんでん虫はある時、背中の殻に悲しみがたくさん詰まっているのを知って、とても耐えて生きていけないと『お友達』に相談する。
どのお友達も同じように「わたしの背中の殻にも悲しみは一杯だ」という。
そして気づく、悲しみは誰でも持っている、ならばわたしはわたしの悲しみを耐えなくてはと。でんでん虫は嘆くのはやめた
と、このようなお話。ネットでは朗読なんかも聴けるところがあります。
美智子様も以前に講演でこの物語を取上げたことがあるそうです。
ちょっと辛いことがあると、世界中で自分一人が苦しいような気になるけれど、
みんなそれぞれに抱えているものがあるんですよね。
50年間いろんな悲しみに耐えてこられて、今尚それをおろしたわけではないはずです。
あのエレガンスには悲しみがいっばい詰まっていて、
それに耐えていることが典雅としてわたしたちの目に映る要素のひとつのだと思うのです。
時には、皇室など本当に必要なのだろうか?と不遜なことを考えたりもします。
しかし、一度間近でその姿を拝見すると納得するんですよ。大げさだけど、国の父と母じゃ!!と
言葉では説明できないけど脈々と代々続いてきた営み。息吹。
跡目は男系男子でなくてもよかろうなどとは軽々しくはいえません。
そりゃ、時代は変化しますし、それに調和することも大切です。
でも芯にあるものは変わるべきではない気がします。
日本人の芯にあるのが、皇室なのかなと思いました。
両陛下、25年前とあの佇まいはちっとも変わっていませんでした。
一国民として、身体を大切にしていただきたい。
>>物凄い人格者に思えるからです。
わかります。
人間の邪悪な部分を全てどこかに置いて生まれてきた方のようにさえ見えます。
ご両親譲りの忍耐力、約束履行の力にも敬服するばかりです。
天皇皇后両陛下を拝見出来たなんて、羨ましい限りです。
私も、フリークではありませんが、何とか皇太子殿下にお会い出来ない物かと思っています。
物凄い人格者に思えるからです。
それでは。