前向きな人生の整理整頓

人生も後半、一日が短いです。明日やると思っても、若者のようには明日はたくさんないのかもと気づいた今日この頃

季節が生み出す感慨

2020年05月03日 16時05分51秒 | わたしの思い

終われば元の生活に戻れる。否、

この生活よりも、おさまった後のことを考えると、

かなり憂鬱で不安な気持ちになります。

 

わたし個人の不安からは離れることにして、

わたしには関係があまりなさそうなことを少し。

学校の問題です。

昔、島崎藤村や夏目漱石を読んでいましたら、

少しばかり違和感を感じました。

そう、大学は秋から始まっていたのです。

その時初めて、日本もアメリカみたいに九月入学

だった時期があったことを知ったのでした。

ちょっとハイカラよね、などと思った記憶があります。

詳しくは知らないし、思い違いかもしれませんが、

徴兵の関係などから今の四月新学期になったとか?

 

そして今、コロナの問題で入学時期について論じられることに。

就学は考えられないし、子供もいないので全く関係ないので、

聞かれたとして、賛成も反対もない立場ですが、

ハイカラよねと思った十代や二十代の時なら、考えもなく

多分賛成。

 

そして今、反対と言ってしまう程の強い思いはありませんが、

軽く、できれば今のままがいいと思っています。

実利的な立場ではないからこんなことがいえるのでしょうけど。

ここまでの文化が壊れていくことが少しだけ嫌なのです。

 

何でしょうねぇ、例えば歌とか物語とか、

春だから感じていたものが、同じ卒業や入学でも

与える感覚が違ってきて、新たな世代には

理解してもらえなくなるような

寂しさを生むのではないかと思うのです。

寒い冬をこらえて、芽吹く感覚。

 

賛成派の多くが口にすることは、

世界基準から外れている、留学に不利という言葉。

確かにそうかもしれませんが、

言わせてもらえば、みんながみんな、留学するわけでもなく、

長い一生をこの国だけで終える人もいますし、

その人が、留学した人に劣るとも思いませんし、

日本独自の事象でたくさんいいことだってあります。

何かそれを劣ったり、遅れたりしていると捉えるのは少し嫌。

 

しかし、この問題が長引けば、学校での学びの時間、

学びの質、量には差が生まれてしまうので、

新たなスタートは仕方ないのかもしれません。

 

そして、渦中の受験生は不利な巡り合わせに

不安になっているでしょう、過去の歴史を考えると、

東大の紛争の入試中止。人によって捉え方は異なると思いますが、

長い一生を思うと、今回の件も歴史的事象であり、

これによってこの期間の学歴や履歴書が傷つくとは思いませんし、

そういう見方をすべきではない。

でも若い子はみんな不安になっているのでしょうね。

今しか見なければ誰だってそうです。

いつかの日、此の年はこうだったのだよと語る大人になる。

元気で大人になるためにもこの巡り合わせに負けてはいけない。

 

以前、美輪さまが、戦争は文化や芸術を排斥したというようなことを

仰っておりましたが、あるいは戦争に匹敵する非常時なので、

四月入学の感慨を持ちだして軽く反対、などというのは

不謹慎なことだとはわかっています。

でも、わりと若い世代にも反対だという意見もあるのが

意外でした。どんな理由からなのかはわかりませんが。

 

さて、あとはお偉い方々が決めることなので、それが最善と思い

見守るまでですが、九月スタートになれば、また新しい感慨を生み、

文化を生むことでしょう。

今年はゆっくり桜も見ることができませんでしたが、

そうなれば、桜を見る時の心持も少し違ってくるのかもしれません。

 

いつの時代もわたしは人の心が生み出すものが好きで、

そういう物に励まされてここまできました。

コロナがそういった文化を飲み込んでしまいません様に。

物価が高騰しません様に。

 

最後に、この時期、『桜の実の熟する時』や『三四郎』など

教科書代わりに読んで、新たな学期のスタートに備えてはいかがでしょうか。

子供の頃から本が好きでしたが、藤村は大人の小説を

意識して読んだ初めての一冊でした。

 

以上、どうしようもなおばさんの思いでした。

 

 

 



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