前向きな人生の整理整頓

人生も後半、一日が短いです。明日やると思っても、若者のようには明日はたくさんないのかもと気づいた今日この頃

人目を引くけれど・・・/coup de pied 

2009年04月14日 02時04分52秒 | ファッション
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

桜もすっかり散ってしまって、日中は汗ばむ陽気です。
日曜日、すっかり散ってしまったはずの桜の木に、花の残った小さな枝を発見。
残っているというか咲き遅れたのでしょう。
いえ、咲き遅れたんじゃなくて、それが彼女たちにとっての『その時』だったのでしょう。
その後、緑の桜を見ました。
『いつ咲こうが、何色だろうが関係ないじゃん 個性よ、個性
 だれも不愉快にはならないでしょ きれいでしょ』そういわれたような気がしました。

数年前、とある地方のある街でのこと、大きな交差点を渡っていたときに地方では珍しい、
所謂ゴスロリファッションの女の子二人がわたしの前を歩いていました。
『まあまあ、かわいいこと。ちょっと感動的だなあ。でも右の女の子はちょっと太目すぎ、
 背中のジッパーがはちきれそう。ダイエットした方がかわいいね』心の中で呟いていたら、
わたしの隣を歩いていたおばさん二人組みの一人が、大きな声で、
『まあまあまあまあ、みっともないわぁ。なんて格好。親の顔が見てみたいわぁ』とのたまった。
『そうかなぁ?街中でそんな大声出す方がみっともないと思うけど。
 むしろわたしはあなたの子供の顔が見てみたい気がします』心の声。
この国では知らない人を大きな声で批難するようなことはあんまりないと思っていたので、残念。

昔、coup de pied (スペルに自信なし)クー・ドゥ・ピエというブランドがあって、
装飾的で、とても魅力的な洋服を作っていました。おそらく、80年代も後半だったかと思います。
ちょっとその辺りの記憶がごちゃごちゃなのですけど、代官山にお店があって、
その当時駅が改装中で仮設のベニア板張りみたいなのを歩いた記憶があるんですが。
うーん、それに取り壊し前で空いた同潤会アパートがあったような気もするんですが。夢か幻だろうか?
壊すの勿体無い。こんなところに住んでみたいと見上げた記憶があるのですけど、
同じ頃だったのかはちょっと曖昧で当てにならない記憶です。

街もおしゃれの代表みたいですが、とにかく素敵な洋服だったんですよ。
お店の前を通るだけで特別な空気を感じていました。
きっと今でも愛される雰囲気なのですけど、儚いブランドでした。と、思う。何故だったのでしょう?
思うに、ファッションは流れるものであり、変わっていくのをみんな追いかけていますが、
このブランドには決定的な完成したイメージがあり、それは変えようがなく、
変えてしまったらクー・ドゥ・ピエじゃなくなってしまうし、利用者も変化を求めることより、
好きなものを着ることに重点を置く人たちだったのではないでしょうか。あくまでも推測
だから変わらずに立ち去っちゃった。

いつも奇抜で個性的な装いで目立っていたクラスメイトが大好きだったクー・ドゥ・ピエ。
彼女は隔てなく誰とでも接する人で、クラスや学食で顔をあわせて話をすると楽しい人でした。
不思議なことにくだんのおばさんの様に彼女の個性的な姿を批判する大人はいませんでした。
時々心配されることはあっても、大学の先生やアルバイト先の上司といった目上の人にも愛されていたようです。
それは彼女がどんな目立つ格好をしても、常識や気遣いを知っていて、みんながそれを理解していたからです。
例えば、煙草を吸わない人の家で煙草を吸う場合、ベランダに出て、
その吸殻を紙に包んで持って帰るようなところのある人でした。
読書家で知識も豊富で、それひけらかすでもなく、彼女のそんな知的な部分も好きでした。
それと、どんな個性的な格好をしても絶対下品にならないセンスを持った不思議な人でした。
tpoもわきまえていて、大切な場面でその個性がはみ出すことはありませんでした。

当時はデザイナーズブランドが華やかなりし頃でしが、学生が毎日着るのには贅沢。
クー・ドゥ・ピエを愛しつつ、古着を上手に着こなしていた彼女、元気にしているでしょうか?

もうクー・ドゥ・ピエを知っているひともあまりいないと思います。
どんな洋服なの?と問われても上手には説明できそうにありません。

個性的な色をした緑の桜は大胆にも花びらは八重。
クー・ドゥ・ピエも八重桜みたいにデコラティブで目を引くけど、前に出過ぎない
甘くも幼稚にもなり過ぎず、上品で、色使いのせいなのかなあ、目立つけれど嫌味はなくて、
アンティークな味もあったような。女性でいることを楽しませてくれるような洋服でした。

当時持っていた人はきっと今でも手放せずにいるんじゃないでしょうか。
だって古着とかで出ているのを見たことがないし、それとも高くて売れてなかったのかな?
子供に見せて自慢しているかも・・・。
coup de piedを愛した人は街中で大声をあげて、他人を批難するような母親にはなっていないと思います。
多分・・・きっと。

遅咲きの桜、緑の桜、古き友、そしてcoup de pied。
共通項は人目を引くけれど、でしゃばりではないということです。

あー一体何が言いたいんだろう・・・・まとまりませんねえ。





4 コメント

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こんばんは! (テクさん)
2009-04-15 22:00:49
人目を引くけれど、でしゃばりではない。嫌味が無い。憧れますね、理想的と言いましょうか。
でも、どうだ見やがれ俺はこんなに凄いんだぜぇ、が似合う人も居たりして、そういうのも憧れます。
両方共自分にはありませんもので。
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朝青龍?! (はちみつ)
2009-04-16 23:57:04
こんばんは、テクさん

そうなのです。嫌味が無いって素敵なことですよね。わたしも憧れます。

>>どうだ見やがれ俺はこんなに凄いんだぜぇが似合う人

全然見当違いかもしれませんが、勝利したときの朝青龍を連想しちゃいました。
やんちゃな感じはしますが、嫌味な印象は受けませんし。
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また、感心しました (テクさん)
2009-04-17 12:57:53
朝青龍を持って来るとは、流石です。
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ごっつぁんです (はちみつ)
2009-04-19 02:35:22
テクさん、

わあ、勝手ながら『あっぱれ』をいただきます。イチロー流にごちそうさま・・・
いや、朝青龍なのでごっつぁんです。
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