前向きな人生の整理整頓

人生も後半、一日が短いです。明日やると思っても、若者のようには明日はたくさんないのかもと気づいた今日この頃

わたしはずっと『わたし』

2019年06月06日 23時20分53秒 | わたしの思い

昨日は『おいら』について書いたじゃないですか。

すると、同じように自分のことを『あたい』という女性にも

実際には会ったことがないと思ったのです。

 

ドラマや漫画、映画の字幕、はたまた松山千春の歌などでは耳にしましたが、

実際にはお会いしたことは、色々考えてみるけれどありません。

 

そう言えば、わたしは言葉を覚えた頃から幼い一時期、自分のことを

自分の名前で語っていたようです。何となく記憶があります。

父から注意されて、『わたし』だよと言われてからはピタリと

『わたし』になったそうな。

 

この件について、父には感謝しています。

中学校や高校で自分のことを『わたし』ではなく、

『〇子は』とか、『〇美ね』とか言っている人がいました。

当時は気にもなりませんし、その子が「わたし」と言うのもそれに慣れて

しまっていたので、変な感じがしました。

しかし、同じことを自分がやっていたならば、

鼻持ちならない印象を人に与えたに違いない…と、思います。

要はcharacterに合うか合わないかだと思われます。

その性質に合っていればいいんじゃないのかと・・・


まあ、大人として公的な場合は注意しないと癖は直しづらいから、

わたしは子供の時に直してもらってよかったと思っています。

左利きを矯正されたのは?ですが…

 

仕事をするようになってから、職場ではずっと『わたくし』でした。

『わたくし』だったころのわたしは背伸びした嫌な女だったと思います。

中身が『わたくし』ではなかったわけです。

 

『あたい』っていう響きが似合う人もいますよね。

若い頃を、自由に伸び伸び生きている女性をイメージします。

ドライフラワーを閉じ込めたレジンのアクセサリーを売ったりして、

お金がたまったら、ふらりと海外に小さな荷物だけで出かけていくような、

目に見えない翼を持って軽やかに羽ばたいているようなひと。

素敵な人。

 

考えてみたら、わたしの人生はどこかしら堅苦しい。

だから、おいらにもあたいにも縁がないのかもしれないなぁ。

仕方ない、これからもわたしは『わたし』だと思います。

もし『わたくし』に戻ることがあるならば、似非ではなく、

『わたくし』として堂々としていたいと思います。



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