前向きな人生の整理整頓

人生も後半、一日が短いです。明日やると思っても、若者のようには明日はたくさんないのかもと気づいた今日この頃

村上春樹も終活か

2018年11月06日 22時59分34秒 | わたしの思い
昨日はとうとうダウンしました。
今日もやや下降気味ですが、自分を甘やかすことにしました。
こういうの、嫌だなって思うけれど、
誰に迷惑をかけるわけでもなかったので、いいことにします。

村上春樹氏が、母校の早稲田大学に、
自分の資料や書簡などを寄付することにしたという記事を見ました。

その量の多さと、子供がいないから自分がいなくなった後の散佚
を懸念して。(ざっと読んだのでを間違ってないといいけど・・・)

チビチビと、家の中を片づけていますけど、

思いますね、

家も、物もそして人の心も一代限りのものだと。

昔は、代々受け継ぐものと思われていたのが、
今は一代限りのもの。
考え方も時代によって変わらざるを得ない。

わたしの世代の親たちは戦後の物のない時代を経て、
豊かに段々なって、これを買っておけば、子供が後々は・・・
なんて考えた時代でもあり、物が多いのですよ。

それが今、困りごとになって、
家は古くなって、修理、売却、解体、お金も、精神も使う。
物も古くなったり、価値がなくなったり、処分にも気力を使う。
そして、心。「ごめんこんなものがあっても困るだけなのよ」
と嘆かないといけないのです。

そんな思いを持たないでいられれば楽なのですけれどね。

でも、わたしも村上さん同様(一緒にして失礼)
後がないので、自分のところで決着をつけないとね。

好きだった人が村上春樹を読んでいて、
わたしも、『羊をめぐる冒険』とか『螢・納屋を焼く』
『ダンス・ダンス・ダンス』『風の歌を聴け』等々読みました。
結構初期の頃のはほとんど。

若い頃の一人暮らしって夜は結構時間があって、
当時からテレビを点けっぱなしにすることなどがなくて、
空想やぼんやりするのが好きでした。

ノートを置いていて、あれこれ書き付けて、
まぁ、思いつくままの、結末のない短編小説みたいなものも。

あるとき、大学の先輩が、それを見て、
日頃自分が通学電車で読んでいる村上春樹の短編と比べ
「Kさん、コレくらいなら書けるんじゃないの」ですって、

考えると恐ろしい発言ですよ。ノーベル賞候補になる
大先生ですよ。今じゃ研究者もいて、
それゆえご自身も資料の行く末を心配をするのですよ。

もっと恐れ多いことには、言われた方もまんざらじゃないねっ
と思ったことです。今じゃとても考えられません。
若さというのは・・・馬鹿です。まったく。

ただ印象は洒落たバーのマスターで、読んでいるといい時間を
過ごさせてくれるというイメージでした。
ほどなく、ノルウェイの森が出て、
村上さんは変わっていないのかもしれないけれど、
世の目が変わって、何か遠くなった。

前、ずーっと前にノルウェイの森について書きましたけど、

以来、村上春樹は読んでいないのです。

そうそう、思いつくままですが、安西水丸氏とのコンビで、
『カティーサーク自身のための広告』という文が好きでした。

ノルウェイより後の作品を知らないわけですが、
何だろう?あまり深く残っていないのに、

ちょっとしたところで、ちょっとしたシーンや文を思い出します。
読むとお洒落で、カティサークがすごくおいしく感じられたのでした。
働くようになってからずっとスコッチ党でした。

週末には、
「けっ、村上春樹も終活か」とグダグダ言いながら飲もうと思いました。
生憎カティサークはなく、国産の安いの。

以上、思いつくままでした。

昨日捨てた物
薬袋に古いうがい薬を発見、少し溶けていた。処分


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