無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

河村瑞賢展

2022-05-30 13:40:54 | 酒田
酒田市総合文化センターで、飽海地区史研究会が行われた。
この場所は、昔に通っていた小学校の跡地に建てられた施設なので、時間ギリギリに向かっても大丈夫な所だ。
駐車場の入り口に向かうと、いつもは居ない筈の警備員の男性が、両手で☓印をした。満車だそうだ。ここが満車になることがあるの!?
琢成小学校の駐車場に誘導される。文化センターの道路を挟んで反対側だ。
その昔、光が丘小学校があった場所だ。そこに車を置いて、走った。
混雑の原因は、大ホールで年に一度の岸洋子を歌い繋ぐ会があったようだ。


今回の研究会は、資料解読講座で、戦前の活字資料を読み解くのが目的だった。
明治の頃、木版印刷から活字印刷へと変わり、筆で書いた崩し字から活字にはなったが、文語体や漢字が旧態で、ひらがなさえも現代では読めない「2つの字が一緒」や「々やゝなどの決まりごと」で読むのに難しい。
昭和20年に当用漢字が告示され、中華人民共和国ではもっと簡素化され、それ以前の旧字は台湾にしか残っていない。
文章も漢文に似た返り点もあったり、全体が候文である。
読む資料として、明治大正の頃の新聞の広告を参考にした。



講座が終わり、酒田市資料館に向かう。
前回の研究会と同日に、資料館では「河村瑞賢・西廻り航路開設350周年」の特別講座が開かれたが、申込多数で入れなかった。
この日は、それらの講座はないが、展示が終わる前に一度は来てみようと寄ってみた。


現在の経済は金本位制だが、江戸時代は石高が示すとおりに、米本位制である。
各地の大名は自国の米でその羽振りを表す。山形には幕府直轄の天領地なるものが多く、収穫した幕府米は江戸へ運ぶ。
陸路など時間がかかる運搬よりも、多くの米を安全に運ぶ西廻り航路を開設したのが河村瑞賢だ。


河村瑞賢は伊勢で生まれ、江戸に出て商人となる。明暦3年の江戸の大火で木材が必要になると木曽に向かい木材を買い付ける。
木材を買い占めて財を成し、建築請負業にも手を出し、幕府や諸大名からの注文も受けるようになる。
用意周到に仕事を進めるも、なかなかのアイデァマンで他人を驚かせたと言う。
ただ、廻船業を営んでいた訳でもないのに、何故御城撒い廻米のような大事業を命じられたのか定かではないが、幕府からの信頼は高かったようだ。

現在日和山公園として千石船が浮かんでいる場所に、県内や秋田から運ばれてきた御城米を置いた「瑞賢庫」があった。
当初は野積みで、後に建物が建てられている。


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