夏の甲子園決勝は、延長15回引き分け、翌日の再試合になった。
37年ぶりの再試合だそうだ。
すっかり記憶が薄れていたが、言われて走馬燈のように思い出した。
青森三沢高校の太田投手の活躍と、再試合で負けて準優勝になった事、どうして高校野球は西日本が強いのだろうと思った事など。
昔はドーム球場もなく、しかも高校野球の設備ときたら、屋内練習場なんて、強い私立高校ぐらいしか設置されていなかった。北国ともなれば冬のグランドは雪に埋まってしまうし、練習量からしても不利だった。東北勢が決勝まで残るなんてのは、本当にまれな事だったのだ。
賛否は分かれるだろうが、ここ最近は高校生の越境野球留学が盛んだ。選手のレベルが地域で偏る事も少なくなった。良き指導者や監督も移動する事が多くなり、無名の高校が俄然強さを増すことも珍しくなくなった。選手達が甲子園に出場できるのは、人生の上でたった3年間しかない。やり直しの効かない極めて限られた世界なのだから、こんな風に甲子園にでるのも一つの方法だと思う。
今回の決勝戦は、どちらが勝っても素晴らしい戦いになると思う。
早実が日大山形に苦戦したって言われたのも、ちょっとは嬉しい。
ところで、今日の再試合も引き分けになったら、もう一度行えるの?
何回再試合って認められるものなの?
37年ぶりの再試合だそうだ。
すっかり記憶が薄れていたが、言われて走馬燈のように思い出した。
青森三沢高校の太田投手の活躍と、再試合で負けて準優勝になった事、どうして高校野球は西日本が強いのだろうと思った事など。
昔はドーム球場もなく、しかも高校野球の設備ときたら、屋内練習場なんて、強い私立高校ぐらいしか設置されていなかった。北国ともなれば冬のグランドは雪に埋まってしまうし、練習量からしても不利だった。東北勢が決勝まで残るなんてのは、本当にまれな事だったのだ。
賛否は分かれるだろうが、ここ最近は高校生の越境野球留学が盛んだ。選手のレベルが地域で偏る事も少なくなった。良き指導者や監督も移動する事が多くなり、無名の高校が俄然強さを増すことも珍しくなくなった。選手達が甲子園に出場できるのは、人生の上でたった3年間しかない。やり直しの効かない極めて限られた世界なのだから、こんな風に甲子園にでるのも一つの方法だと思う。
今回の決勝戦は、どちらが勝っても素晴らしい戦いになると思う。
早実が日大山形に苦戦したって言われたのも、ちょっとは嬉しい。
ところで、今日の再試合も引き分けになったら、もう一度行えるの?
何回再試合って認められるものなの?
負け甲斐があった「日大山形」に負けた島根勢もやはり「負け甲斐仲間」になれました!
それにしても毎年、中だるみな野球観戦。
身勝手な小生は決勝戦を観ては、「ああ、これで終わった。 遅かれ、秋がくるんだなぁ」とインスタントで美味しいとこ取りな奴です。
なんでも斉藤投手には既にファンが溢れ
黄色い声で眼がハートな女の子たちがいっぱいだそうな。。 ここんとこも「美味しいとこ取り」できませんでしょうか。。(哀)
今日だったのを忘れていて、決勝戦は始めのトコだけしか見られなかった。
ま、早実が勝ったから、いっか!
>fulltimeさん
私達「負け甲斐仲間」なの?(^^)
「優勝に協力した仲間」でもあるよね。
ばんざ~~い♪ 良かった良かった。
王監督も喜んでくれたよね。
なにはともあれ「若者たちの球宴」は終わった
彼らが世に出た時、失意と絶望しか見渡せないような世の中であっては申し訳ない。
「日本の酸素」「世間の清水」な存在を目指そう!
ただ嘆くことと、孤立無援でももがき戦うこととは彼我の差がある。個は個でしかない 小さい。
だが彼らは総てそうだが殊に斉藤投手という「個」が我々をしてここまで感動せしめたのだ。
ハバネロのブログに栄光あれ!
孤軍奮闘に賞賛あれ!
一人でも多くの「良い大人」を目指そう!
我らは「おしっ○VSう○こ論争をしてる場合ではないのだ!
ところで、斎藤選手が俄然騒がれているようですが、本人はともかく、兄さんや友人達までもTVに引っ張りだこのようですね。
久々のスターが誕生したと言うのでしょうか。
優勝もした、強い、上手い、頭が良い、男前、何拍子も揃ったスターのようですが、周りが騒ぎすぎて潰されない事を祈ります。
野球でも、今年のWBCがあんなに盛り上がったのに、プロ野球は視聴率も上がりませんでした。
それなのに、高校野球は凄かったらしいですね。平日の日中だと言うのに。やはり真剣勝負で面白い物には、人間引かれるんですね。
もう一つ、自分の地元も出ていると言う身贔屓も加味されるのでしょう。
ついに夏の甲子園は終わりました。
こちらでは、台風崩れの雨のおかげで、ちょっと涼しくなりました。ほっとしてます。(涼しいのにHOTとはこれいかに!)
それなら日を改めて秋の夜の無聊に任せておっぱじめることをここに約束し置くこととするなりよ。。せいぜい尻に磨きを掛けて「時」を待たれるが良かろう。
さて、件の斉藤くん(ハンカチ王子だそうな)であるが、これはもう世間様が勝手に騒ぎ始めておりますな。 そうなればマスコミもほっとかない。 どっちが先かはやがて「鶏VS卵論争」で結局誰も責任を取らないという構図。 「アフリカの大自然」などというドキュメンタリィがたまにあるが、カメラと人が入り込んだ時点で、それはもう「自然」でもなんでもなく、実は「ほっとく」のが一番。殊更、「今、アフリカのサバンナはどうなっている!?」とか、「ハイエナはどうしてあんなに狩りが上手いのか!」などと興味深深な御仁はそうまでおらぬはず。
せいぜい「如何に効率的に街でナンパするか!」、といった不逞の輩ぐらいのものか。
サイトウクンの今後が心配なのである。可哀想なのである。 せいぜい小生とCAKEさんに一枚ずつサイン色紙をくれた後は静かにお過ごし頂きたいと切に思ふ。
さて野球の不人気はこれは致し方ないのであります。 サッカーとて安泰ではありますまい。 人気、実力共にある若者は上を目指すのであり、上とは海外であります。
グローバル化はどこまでも進み、各界各層に及んでいくでありましょう。
しまいには、「ワシは田植えの名人じゃ!」とか「障子を貼らせたらおれの右に出るものはおらん!」とか「子を産ませたら私が一番早い!」とかいう一見、なんの関連もない人まで海外を目指す。 これが21世紀の実像でありましょう。
出て行かない者としては「駅前留学」ガッコウの日本人教師とか、同じく高校のエイゴの先生、政治家、やっと我が家を立てた32歳の弱小会社のサラリーマンなどが挙げられましょう。 しまいには「ホームレス」さんだって出て行くかも知れない。 彼らにインタビューしたら、「夢はマイアミでホームレス!」とか言うことだってあり得る。
恐るべき時代であります。
野球こそ戦後の日本人の娯楽の最たるものであった。 どこそこの工場の昼休みといえば、必ずと言っていい程、キャッチボールが見られたし、我らも「テニスボールか、軟球か」に派は分かれたが、ひたすら「野球」であった。 「おしっ○か、う○こ、か!」などというヒマな者はおらんかった。
小生、思うにその理由として言い切る。
時代が「飽きた」のである。
増して環境の変化もある。 「空き地」や「広っぱ」が無くなった。ガッコウの校庭は解放されなくなった。
つまり「場所がない」のである。
更に言えば、「家の中でぐずぐずしとらんでおもてで遊べ!」みたいな親もいなくなったし時代がそれを許さない。今時、バットの先にグローブを挟んで家を脱走するような子供は「カツオ君」くらいのものである。
寡聞にして知らない分野であるが、ハバネロさんの世界でも驚いた話がある。
この前のことだが、「かんな」をかけるにもコツがあるんだ!という話を聞いていた。
「そりゃそうだろ。。」と思ってたが、ヒマだったので続きを聞いてたら、「電動かんな」の話だった。 上手にしないと素材の表面に傾きが出るのだそうだ。
当たり前すぎてめまいがした。
同時に、「文明の利器」であるはずのものが全然、便利ではないではないか!と腹も立った。
要するにこういうことだ。
「水は低きに流れない・・・」
流行とか新しいものの持つ魅力とは、真の利便性とか有用性をいつもいつも併せ持つものではなく、それを使いみせびらかしたり、
歓心を得ることにあるのではないかと云うことである。
玉石混交なのである。 地デジなどもそうだ。 あと5年たったら現在のアナログな受像機はもうゴミになる。 貧乏で家も狭くたった三人の大人だけでもショウケツを極める我が家では大迷惑な話なのだ。
映像がこれでもか!というほどキレイになることにどれほどの必要性があるのか。
リアルな花を見たければ、ただちに小生、山に分け入り、実物を見る。
自分で選んだ景色を見る。 滅多にいない実物の美人を探す!
脱線しまくったが、要はこうだ
「不条理」が匿名性をもってまかり通る、と。
サイトウクンをもてはやし、ひょっとしたらその芽も未来をも潰してしまうのは、こういう要素の一人歩きであり、多数の期間限定の関心が意味もなく時代を流れるだけ、という世の在り様だ。
眠いのでうまく言えないが、かく在るべし!ということも、どうでもいいこともあわせて、総ては無責任に流れていくという不条理を思う。 だからこそ、善意の一人が大事なのであり、@国家の品格、でも書かれていた如く、「すぐには役にたたないこと」にどれだけ力を注ぐか、という尊い作業が大切なのだと。
野球という分野が廃れるのとどういう関係があるのか、ここですでに解らなくなったが
(つまり眠いのだが)、変わってはならないものと、一過性のものと看過して良いこととを見分ける目を忘れずにいたい。
それが云いたかったのです。
では眠いので校正もせず就寝します
m(__)m
fulltimeさんは、ちゃんと眠れたのでしょうか。
睡眠不足は、夏バテになるので、心配です。
さて、fulltimeさんの野球についてのご意見で、時代が「飽きた」のに、考えさせられる節があります。
昔なんて、道路でもキャッチボールしてたし、空き地があれば三角ベースしてましたね。
最近では、公園でも球技がお断りで、時には高齢者のゲートボール場と化している所が多いです。
つまり、野球をやってもらっては困ると言われているようなものです。
子供達の遊び場を、どんどん少なくしていっているくせに、「最近の子供は外で遊ばない。」と平然と言うオトナを見ていると、誰の都合で世の中回っているのかと思いますね。
ああ、もっと色々と書きたいのですが、そろそろ出かける時間になりましたので・・・。
それでは!後ほど!!
もう一つの再試合、ボクシングのカメ駄選手のもあるようですが、こちらは見たくないですね~。
世の中の様相はそうそう変わらないものだという思い込みや願望的幻想が、やはり我々には在るようです。
変わるのです。妻も私も無残なまでに。。
だから懐古趣味とかセンチメンタリズムという言葉が用意されているのですね。
過日、話題になった映画「三丁目の夕日」、ごらんになりましたか? 日本中が「三丁目はいいなぁ現象」に包まれました。 小生はそれが意外にも余り感慨がなかったので不思議でした。(ちなみにこんな田舎では○○丁目などという洒落た呼称は無く、○町内といいます)
セコイ性格の私は「どこかにアラはないか!」と専らそういう観点に拘泥しておったのであります。
なので感動するヒマがないまま映画が終わってました。
父親は40歳、母は37歳、小生11歳。
・・・30年代最後の年はこんないたいけな年齢でありました。 母親は誕生日までの3ヶ月を残して
他界しました。 なので小生にとっての30年代末は「何かの終り」を告げた時でした。
△ベースも池のめだか獲りも、助け鬼も、パッチン(標準語ではメンコ)も、手作りのライスカレーも家庭内クーデターも、総てが終わりました。
強引に30年代がそれで終わったのだと意味付けるのもいささかの気負いを感じないではありませんが、ともかく終わったのです。
ついでにメソメソとこじつければ、「おれの少年時代は終わった!」という旅立ちの年でもあったのです。 ではいつ青年になったのか!という「男子一生の命題」達成はずっと後年になってのことであります。
。。ありますが!ハバネロさんはどうやら女性(にょしょう)のようなので、この話題に深入りは避けます。
とにもかくにも、もういい加減、「あの頃=40年代」という図式になってもいいのではないか。
東京オリンピックが終わってあくる年からも遮二無二、「いけいけどんどん!」な時代が加速されたのです。 もうあの映画をピリオドにしてきれいさっぱり「時代の遷都」を果たし、女々しい大人(おっさん、おばさん)たちの恋々たる懐古主義を締めくくろうではありませんか。 昭和も終わり、ミレニアムを通過した今になって尚、何をつべこべ言うことやあらん。
・・と、いつになく毅然たる語りが口をついて出る今日この頃。。
さてはよっぽど今夜、厭なことがあったな?。。と「CAKEやけん様」はお思いかもしれませんが
生憎「fulltimeじゃろうて」は健在です。
どころか、「眉目秀麗、豊満純潔、才気煥発、支離滅裂な美女」と「うふふ♪」な時を過ごしてきたのであります。 これは純然たる事実でありますが、その場は?と問われれば、「スナック・洋子」での話なので、余り自慢はできません。 できませんし、それ相応(若しくは過分)な対価を支払って、したたかに酔っ払い、移り香にも酔い、壊滅した財布の中身に、今更のめまいまで出ております。
時は平成18年8月24日!
うん。。ちゃんと、気は確かだ。。
という訳でいつもの紳士然とした己を逸してまで書くことを忘れぬ私ですが、これも「フルタイム」などというストイックなHNの故にて、どうかご寛怒のほどを。。
・・しかしここはほんとにおれの家なんだろうか。。
劇的に変わっていったと思います。
金と物に憧れた時代。大衆車も登場して3Cが現実なって行った時代。
一度文明の便利さを受けてしまうと、元の生活に戻るのは難しいものですね。携帯電話が離せなくなったように・・・。でもまだ大丈夫かな。戻れるかな。