20分の休憩を挟んで、薪能「屋島」が始まる。寒くて20分は長いとカメラマン達(私も)はグズグズ言った。
太鼓が鳴り止むと、裃を着けた男性が2名、松明を持って登場した。
薪は赤松を乾燥させた物で、上から火を付けようとすると・・。
幕の後ろから「下から、下から!」の声が掛かる。
先に歩いて行った方はベテランのようだ。
テントが吹き飛ばされる程の強風の為、火事を心配した消防団が、蚊帳の外と言うか塀の外で待機している。寒い中、終わりまで待っていてくれた。
数カ所に火がともり、心なしか暖かくなった気がする。
日本版オーケストラの面々の登場
舞台の背景の松の木とが素敵だ。大手門の白壁もライトアップで赤くなった。
だけど、寒い。
二人の旅の僧が現れる。
二人の僧が都から四国へ渡る。
この方は、以前に弁慶を演じられた方かなと思う。
讃岐の国、屋島の浦に到着した。
そこに若い漁夫と
漁翁が現れる。
私は、松と大手門が背景のこの位置が綺麗だと思うのだが、舞台に向かって右側が舞台の正面になるので、そちらの席に座る人が多い。
火の粉が飛ぶので、消火作業をしながらの薪能である。
二人の僧は漁翁に、一晩の宿を所望する。
客席の後ろには、カメラマン達が陣取っている。
宿に泊めるのは、最初断ったのだが。
都の話も聞きたいと、宿を貸すことになった。
漁翁は、夜の徒然に旅の僧に乞われ、昔の源平合戦の模様を語り出す。
義経をかばって、敵の矢を受けて亡くなった佐藤継信や菊王の振る舞いなど
まるで見てきたように翁は語る。
翁に、旅の僧は、名を尋ねると、
自分が義経であるかのようにほのめかし。
翁は消えて行く。
そこに、宿の主と名乗る男がやって来て、何故僧達がいるのかと、いぶかしげに尋ねる。
僧達は、自分たちが見たことを話すと、それはきっと義経だろうと宿主は答える。
この宿主は、役者の中で唯一の女性で、彼女の声は非常に聞き取りやすい、良い声の持ち主だ。
夜半になり、義経の幽霊が現れる。
この義経の役者さんは、身体が大きくて舞台が狭く感じるほど、見栄えが良い。
松山大寒能で、静御前を演じられた方だと思う。
実は、宿の主が現れた頃から、雨がポツポツと降り始め。
義経が現れると、傘が欲しくなるほどの振りになった。
舞台の上も濡れてきたが
演ずるのを止めることはない。
義経は修羅道の苦しみを語り。
陸と海の合戦が忘れられないと
「今日の修羅の敵は誰ぞ。」と能登守教経の戦いを思い出して舞う。
判官贔屓という言葉があるが、日本人は本当に義経が好きなのだと思う。
やがて、消えて行く。
この垂れ幕の引き上げ方も面白い。
濡れた舞台で、長袴は滑らずに歩きにくそうだった。
後半は歯がガチガチなるほど寒かった。薪能では売店も開かれ、松山の名物のお菓子やお弁当、飲み物に玉こんにゃくも売られていた。能が終わって、残った最後のおまんじゅうを買い求め、店の女性との会話の中、「あまりに寒くて、大寒能かとおもった。」と言ったら「座布団1枚!」と答えが返ってきた。御茶を点てていた和服の女性達は、雨が降ると早々に帰っていったが、この気温だと何人の人が風邪をひくことだろうと思った。
能を演ずる人だけでなく、舞台を設置してくれた人々、蔭で火事を心配して見守ってくれた消防団、最後まで粘ってくれた売店の人達と、沢山の人の手で成り立つ薪能だと痛感した。
能舞台の鏡板は影向の松を描いたものと言われていますから、この舞台は原始の能舞台を今に伝える、全国的にも珍しい貴重なものだと思います。さらにさかのぼると、舞台が土壇になるんですけどね)^o^(
さすが酒井藩式楽の名残りですね。
写真を何枚か使わせていただけませんか?
この近くの松山城址館には、能舞台が設置されていて、ご存じの通りに松が描かれています。せっかく本物の能舞台はあっても、客席のキャパが小さく何故こんな設計にしたのかと思う程です。
伸び伸びと演じられる屋外は、薪能の醍醐味ですね。(雨が降ったり、寒くなければ良いのですが)
私の写真で良ければ、お好きな物をどうぞお使い下さい。画像に圧縮をかけているので、鮮明ではありませんが。
cakeさんの解説もわかりやすくて楽しい
お近くで見ることが出来て羨ましいです
日暮れと共に舞台が映えてきたのですね
特に今回は、6月とは思えぬ寒さと雨で、余計に地元の人達の暖かさが伝わりました。
松と大手門を背景にした舞台も大変素敵でした。