愚ダメ記、真誤付き、思い津記

日記?趣味?妄想?

ウッドデッキ補修

2020-08-21 | 日記

ウッドデッキの床板が傷んでしまっているのに気付き、暇に任せて取り敢えずペンキを塗った。十数年前に設置後、3年くらいはペンキを塗り直したが、デッキに物が増えて動かすのが面倒になったことと使用頻度が下がったことで十年近くそのままにしてしまった。時々外から見て板の劣化には気付いていたが、きちんと点検してなかった。せめて3年に一度くらい塗り直していたらここまで傷みはしなかったろう。作ってくれた大工さんの「ペンキは毎年塗り直してくださいね」という言葉の重さを知った。

 おっとり刀でホームセンターでペンキを仕入れ、久しぶりに刷毛を使う。不思議なことに、以前は面倒に思えた作業に少々の遣り甲斐を感じる。ペンキを塗ることが楽しいとまで行かないが、塗り終えると何か達成感を感じたりする。仕事に追われ気持ちに余裕が無かった頃にはそんなことを感じたこともない。新型コロナ対策で外出自粛やリモートワークで自宅にいる時間が多くなりDIYに手を付ける人が増えたそうだが、何となく共感できる気がする。

 自分自身の家なのだから、その管理・保全に僅かでも自身の手が役立つことに相応の達成感が湧いて当然である。これまでそれを感じる余裕も無かったとすれば、日本人は如何に非人間的人生を選択して来たものか・・などと考えたりした。家で過ごす時間が増える中でほんの2・3日続けてペンキを塗っただけのことだが、少しは人並みの生活感を取り戻した気がした。

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十代での二冠達成・新記録

2020-08-20 | 日記

高校生棋士・藤井棋聖が王位戦4連勝を飾って二冠目を手に入れた。天才棋士、新しい時代の棋士、将棋界の新時代を作る若者、などなど、いろいろな期待を込めた賛辞、そして素直な驚き、そして賞賛の言葉が贈られて当然の活躍・偉業だと思う。しかし、自分にはこのニュースの中でのひふみんこと加藤一二三九段が最も印象に残った。

 王位獲得・二冠達成と新八段昇格への祝福に続いて、「今後AI研究が如何に隆盛を誇ろうとも藤井聡太二冠には人間ゆえに見いだすことのできる芸術的な一手の探求を通して盤上で感動を紡いでいただければと願う。」と述べたという。この言葉に、「棋士とは何か、棋士にとっての将棋とは何か」を少しだけ感じさせてもらった気がする。ゲームとしての将棋についてだけ注目すれば、「棋士とAIのどちらが強いか、人間を超える人工頭脳は作れるのか?」 という命題も素直に興味深い。しかし、それならばいずれAIとAIを戦わせてどちらが勝つかに興味は移っていくだろう。つまりそれは、「将棋には、こうすれば絶対勝てるという方法・法則性が存在するのか?」という命題の検証に移っていくということである。何万通り?、何億手先まで読めば "必勝" を実現できるか?、という命題の数学的検証とも言うべき興味である。しかし、人間である我々は、同じ人間である棋士同士の将棋盤上の闘いに別の興味や面白さ、醍醐味を見出す。

 「人間より早く強く正確に動けるヒト型ロボットを作ることは可能か?」、「木刀を持たせて戦わせたら、宮本武蔵に勝てるロボットを作ることは可能か?」という命題を考えればどうだろう。人間よりも早く強く正確に動ければ人間の最高峰にも勝てる理屈であるし、負ければさらに改良を加えるという作業を繰り返せばいつか人間の能力を超えて当然なのだ。将棋でのAIも同様、もし将棋というゲームの中でその変化のパターンが有限ならば、人間をはるかに超える記憶と計算能力を持つAIが戦局の全てを読み計算して勝つことになる。そうなるかどうかまだまだ分からないが(ゲームとして将棋の持つ多様性が有限か無限かの決着はまだ遠い)、ゲーム自体に対する興味と、その世界で人と人が繰り広げる勝負の面白さ・醍醐味は異なる。機械を使えばはるかに速く移動できることが分かり切ってるのに、それでも人間が100mを400mを、1500mを42kmをどれだけ早く走れるかに夢中となり、限界に挑戦する人間達への共感と憧れを持つことと同じに思える。

 加藤九段の言葉は、ゲームとしての将棋の数学的解明はAIによりさらに進んでいくことを受入れた上で、将棋盤の上に人生を掛けるという棋士の闘いの醍醐味が、新たな天才的棋士の登場によって革新の時代を迎えることへの期待と、その新しい将棋界を見たいという渇望を感じさせる。自らがその革新性によって一つの時代を作った天才であるからこそ、この若き天才の登場に託して、新しい将棋の世界への渇望が湧くのだろう。藤井八段はAIを使って将棋の手を研究するという、将棋の手筋の研究にAIを取り入れている棋士は今ではかなり居るのだろう。AIを研究手段として使いこなす新時代の棋士が将棋盤の上でどんなドラマや驚きを繰り広げてくれるのか、そこにはどのような人生観や勝負の彩、美しさが表現されるのだろうか? 「それが早く見たい、と加藤九段は言いたいのだ」と思った。

 

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夏休みも終わり

2020-08-19 | 日記

久しぶりに朝の8時頃に車で外出、近所の通学路で信号待ちする自転車通学の高校生が5名くらいを見かけた。この暑さで思い付かなかったが、もう夏休みが終わっているのだ。「そういえば」と、テレビで学校が始まるニュースを見たことを思い出す。夏休みの宿題が無かった学校がある一方、休みが短く宿題をする時間が無かったという生徒のインタビューもあった。そして、休みが短く自由研究の宿題が出せないという教師の言い分を聞き、「ならば自由研究の企画書を作るのを宿題にしたらいいのに」と思ったりした。8時過ぎ、気温はまだ高くないが、ほぼ真横からの陽射しは十分にきつい。

 「本当に学校が始まっているんだ」と、実際に通学する生徒を見て思う。今年は夏休みが短いなぁ。でも海にも旅行にも行けず、部活もできず、コンクールや大会も中止だらけの夏休みをじっと家で過ごすくらいなら、学校で友達の顔を見られる方がずっと良いかもしれないな。新学年になって早々に自粛期間が長かったことを考えると、新型コロナに ”盗まれた” 同級生との時間を少し取り戻せる機会は大人が思う以上に大切なことかも知れない。信号を待っている生徒たちにとって、今の学年での体験は一生忘れない思い出となるのだろう。ずっと後になって思い出した時「あのコロナの時、君は何年生だった?」と互いに尋ね合うような、全国そして世界の子供たちの同時体験、そんな印象に残るはずの学年も、もう夏休みを過ぎてしまった。

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とにかく暑い

2020-08-18 | 日記

とにかく暑い。夏だから仕方がないと分かっては居るが、暑い。若い頃はこれも我慢できたのか? と時々考えるが、「昨日はどこどこで41℃、今日は違うところで39℃」と聞かされると、昔との比較は意味ないのかなとも思う。

 とはいえ、自分のいるところでは33℃とか34℃とかで、昔にもそれくらいの温度だったような気がする。大人になってからの長年の屋内生活のせいか、体力低下のせいか、同程度の気温でも陽射しはきつく感じられる。小学校の頃、7月の昼休み時間には屋上に行き、タイルの目地の柔らかくなったアスファルトを訳もなく指で押し潰して遊んだことを覚えている。冬にはカチカチの石のようなアスファルトが、夏になると指で押して変形するくらい柔らかくなるのが面白かった。熱く焼けたタイルの上を素足で歩くのも男子生徒同士の粋がりだったのだろう。帽子もかぶらずに遊び、ふと手をやった時の自分の頭の熱さに驚いたことがある。スポーツに限らず勝手に水やお茶を飲むのが戒められていたり、炎天下で遊び惚けたりなど今では想像できないことが当たり前だった。

 現在の自分と言えば、昼間はクーラーの効いた部屋にこもり、出掛けるとしてもエアコン全開の車である。子供の頃の自分が、まるでどこか遠い国の子供たちの様子を見るような気分で思い出される。昼に外に出ると、まぶしい太陽がとてもじゃないほど熱く照り付け、これが本当に子供の頃見上げたのと同じ太陽だろうかと疑いたくなる。「近頃やけに厳しいんじゃないの?」と恨みたくなる。

 庭に置きっぱなしのプランターやポリバケツが数年でボロボロになって壊れていくのを見る時に、太陽の光の威力を思い知る。ふと、「自分の体がこんなにボロになったのも、お日様が毎日照らし続けられたせいじゃないの!」と訴えたくなる。なにしろ、そんな暑さである。せめて明日からは、昼過ぎから入道雲に沸き上がってもらい、陽が落ちる前の夕立で地面を冷やして欲しいものだ。

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日本最高気温41.1℃

2020-08-17 | 日記

浜松市で2日続けて40℃超え、今日は日本最高気温タイの41.1℃を記録したという。長く日本一だった山形市や、近年ずっと夏の暑さで話題になっている埼玉・熊谷市などは内陸にあって盆地的な地形なども加味して気温が上がるのだと理解していたが、浜松市は海に面していて盆地でも内陸でも無い。平野はあるが関東平野に比べれば、どちらかと言えば中央アルプスに続く山と海に挟まれているともいえる。なぜ浜松で日本最高気温が、と驚いた。

 解説によると、日本海側からの風がフェーン現象を伴って高温となり、天竜川の谷づたいに浜松市に下りてきたのだという。気圧配置の妙と、地形の妙が組み合わさって記録的暑さとなった。地面に草が生えた場所の地上1.5mくらいの風邪の抜ける場所での気温が41.1℃なのだから、正味の空気自体の温度だということだ。日が当たればもっと暑く感じるだろうし、アスファルトの上は50℃を超えていたのでは、と想像してしまう。天竜川と聞けば、思わず渓流の涼しさを想像し、谷間はさぞかしひんやりとした空気が流れているのろうと想像してしまうが、その谷を伝って信州から41℃の空気が下りて来たとは。気象の複雑さ、その妙は人の想像を超えるのだと、またまた感心した。どこに居ても、どんな季節でも、気象情報への関心と自らある程度の観天望気の心掛けを保つ必要があると感じた今日の最高気温である。

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