愚ダメ記、真誤付き、思い津記

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山の日

2020-08-10 | 日記

今日は山の日。7月の海の日は例年地元の花火大会が有ったりしたので予め何となくその気配を感じられるが、「お盆休み」という大きな休みに取り込まれた感もあってか、自分の中で8月の休日というのがまだ定着していない。いつも、その日になって初めてメディアやカレンダーを見て気付くことになる。

 学生時代に山に登っていた自分には、「山の日」の名称が「山に行く日」「山の中で迎える日」という意味で聞こえてくる。毎年「ああ、随分と山に行ってないなぁ」という反省と無力感を感じさせてくれるので、あまり意識したくない休日なのかも知れない。山に行く努力を怠ってきたことを自分に問いかけ、「そう言えば、結局、日本アルプスも八ヶ岳も行かずじまいだった」と学生時代にその2つのエリアを避けた自分に多少の後悔を感じさせる。「アルプス・八ヶ岳は、山小屋もルートも整備され、社会人になってお金を稼ぐようになれば何時でも気楽に行ける」と考え、学生部活でしか行けないようなコースを選んでいたのだ。別に山に行くお金が無かったのではなく、なんと言っても時間と心の余裕が無かった。離れた地方に住み、山で2泊を考えると往復5日くらいの休みを取ることになる。安定した職に付いていなかった青年期も、職に就いた後も。ある程度の年齢になると、勝手の分からない処に行く億劫さも加わり、ますますその辺りに出掛ける気にならない。学生時代にアルプスでの合宿を選んだ友人が今でも毎年のようにアルプスに出掛けている話を聞くと、「やっぱり学生時代に一度は訪れて、アルプスを体験しておくべきだったか?」などと考えることもある。別に、自分が学生時代に登った山々をつまらないと思うわけではないのだが、メディアに頻繁に取り上げられる山々に登っていないことが、なんとも口惜しい。

 「今からでも登りに行ったら?」というのはもっともな意見。学生時代の仲間にも当然そう言われる。言われるに決まってるので、面と向かって言ったことが無い。今考えれば、ここに住むようになって実現した高校時代からの「別の望みの実現」が、アルプスへの思いを上回っていたのだろう。アルプス未体験は「口惜しい」が、「アルプスが夢だった」というのでは無い。それと比べ、高校時代に病気のように取りつかれた競技との大人になってからの「再会」は、初恋の人との再開のような嬉しさがあった。

 「山は人生」という言葉が学生時代の山行のモットーだが、人生を噛締めるより「初恋への憧れ」の方が自分にはまだ大きいのだろう。8月10日が「山の日」だと気付く度に、そんな自分を振り返ることになる。

 

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