愚ダメ記、真誤付き、思い津記

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十代での二冠達成・新記録

2020-08-20 | 日記

高校生棋士・藤井棋聖が王位戦4連勝を飾って二冠目を手に入れた。天才棋士、新しい時代の棋士、将棋界の新時代を作る若者、などなど、いろいろな期待を込めた賛辞、そして素直な驚き、そして賞賛の言葉が贈られて当然の活躍・偉業だと思う。しかし、自分にはこのニュースの中でのひふみんこと加藤一二三九段が最も印象に残った。

 王位獲得・二冠達成と新八段昇格への祝福に続いて、「今後AI研究が如何に隆盛を誇ろうとも藤井聡太二冠には人間ゆえに見いだすことのできる芸術的な一手の探求を通して盤上で感動を紡いでいただければと願う。」と述べたという。この言葉に、「棋士とは何か、棋士にとっての将棋とは何か」を少しだけ感じさせてもらった気がする。ゲームとしての将棋についてだけ注目すれば、「棋士とAIのどちらが強いか、人間を超える人工頭脳は作れるのか?」 という命題も素直に興味深い。しかし、それならばいずれAIとAIを戦わせてどちらが勝つかに興味は移っていくだろう。つまりそれは、「将棋には、こうすれば絶対勝てるという方法・法則性が存在するのか?」という命題の検証に移っていくということである。何万通り?、何億手先まで読めば "必勝" を実現できるか?、という命題の数学的検証とも言うべき興味である。しかし、人間である我々は、同じ人間である棋士同士の将棋盤上の闘いに別の興味や面白さ、醍醐味を見出す。

 「人間より早く強く正確に動けるヒト型ロボットを作ることは可能か?」、「木刀を持たせて戦わせたら、宮本武蔵に勝てるロボットを作ることは可能か?」という命題を考えればどうだろう。人間よりも早く強く正確に動ければ人間の最高峰にも勝てる理屈であるし、負ければさらに改良を加えるという作業を繰り返せばいつか人間の能力を超えて当然なのだ。将棋でのAIも同様、もし将棋というゲームの中でその変化のパターンが有限ならば、人間をはるかに超える記憶と計算能力を持つAIが戦局の全てを読み計算して勝つことになる。そうなるかどうかまだまだ分からないが(ゲームとして将棋の持つ多様性が有限か無限かの決着はまだ遠い)、ゲーム自体に対する興味と、その世界で人と人が繰り広げる勝負の面白さ・醍醐味は異なる。機械を使えばはるかに速く移動できることが分かり切ってるのに、それでも人間が100mを400mを、1500mを42kmをどれだけ早く走れるかに夢中となり、限界に挑戦する人間達への共感と憧れを持つことと同じに思える。

 加藤九段の言葉は、ゲームとしての将棋の数学的解明はAIによりさらに進んでいくことを受入れた上で、将棋盤の上に人生を掛けるという棋士の闘いの醍醐味が、新たな天才的棋士の登場によって革新の時代を迎えることへの期待と、その新しい将棋界を見たいという渇望を感じさせる。自らがその革新性によって一つの時代を作った天才であるからこそ、この若き天才の登場に託して、新しい将棋の世界への渇望が湧くのだろう。藤井八段はAIを使って将棋の手を研究するという、将棋の手筋の研究にAIを取り入れている棋士は今ではかなり居るのだろう。AIを研究手段として使いこなす新時代の棋士が将棋盤の上でどんなドラマや驚きを繰り広げてくれるのか、そこにはどのような人生観や勝負の彩、美しさが表現されるのだろうか? 「それが早く見たい、と加藤九段は言いたいのだ」と思った。