愚ダメ記、真誤付き、思い津記

日記?趣味?妄想?

高校野球、甲子園交流戦

2020-08-16 | 日記

高校野球の甲子園交流戦があと1日となった。やはり、夏の暑い日に炎天下で全力を尽くす高校生、それを淡々と表示するスコアボードの数字、試合開始・終了を告げるサイレン、これらが目や耳から入ってくると「ああ、また夏がやって来た」と感じられる。例年のような地方大会からの積み上げや、甲子園での連戦で一試合ずつ上手く強くなっていくという醍醐味は味わえないが、それでも、高校球児たちが日ごろの練習の成果を精一杯出し切るという、その一つ一つのプレーには胸を打つものがある。

 この交流戦はトーナメントではなく、勝っても次の試合は無い。勝っても負けても、この夏の甲子園で抽選で選ばれた相手校と共に味わえる、最初で最後の貴重な一試合である。それが分かっているからこそ、今年の、あるいは高校三年間の野球生活のすべてをぶつけると決めた清々しさが伝わってくるような気がした。母校の大応援団の声援やブラスバンドの演奏も無く、大観衆のどよめきや歓声もない。ときおり響く拍手の応援を背景に、捕球や打球の音がはっきりと伝わってくる。対戦相手や一球一打だけに集中できるのか、心なしか投手や打者の顔つきに落ち着きが見えるような気もする。例年の盛り上がりも高校野球の楽しみ・醍醐味の一つではあるが、今年の交流戦のような大舞台での静かな真剣勝負も捨てがたく味わい深い「夏の高校野球」だったと思う。

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8月15日

2020-08-15 | 日記

8月15日は終戦記念日となっている。いわゆる「玉音放送」で降伏を国民に宣言した「敗戦の日」と言う人々もいる。子供の頃から毎年、8月15日の正午にはテレビやラジオから流れる合図とともに黙とうを捧げて来た日でもある。8月15日が近づくと、例年、75年前の戦争にまつわるドラマやドキュメンタリー番組があちこちで放送されている。今年は戦後75年目になり、戦争体験の実体験を持つ人々はさらに少なくなった。最近は、戦争体験の語り部たちの減少を意識した「語り継ぐ」ための番組や行事が増えたと感じる。

 確かに、第二次大戦・太平洋戦争を体験した人々は高齢となり、彼の戦争の実態を体験を持って語れる人は減っているし、いつかは居なくなる。それを聞き継ぎ・記録して語り継ぐことには意義があると考える。しかし、その終戦の日以降の出来事はどう語り継がれているのだろう。東西冷戦の始まりを受けての講和条約と日米安保条約の選択、朝鮮戦争での日本の役割と選択、その後のベトナム戦争に日本が果たした役割、ソ連崩壊後の日本の考え方と国際的行動、その他にもいろいろと戦争と平和にまつわる大きな選択や決断があり、それぞれの場面で矛盾や挫折、痛みや不条理を体験した人々がいる。「戦後の政治・社会の動向、国際政治に関することは一部の政治家や官僚に任せればいい」と言ってるなら、「気が付いたら戦争に巻き込まれていた」という過去の体験談の繰り返しである。

 彼の戦争を振り返りどうしてそんなことになったのかを一般民衆の体験を通して考えるというのなら、その体験談を現代・未来の選択に生かすのだと言うなら、日本が彼の無条件降伏の日から現在までどういう選択を行い、どういう道を歩いて来たのかについても民衆の体験談を聞いて振り返ってみる必要があるのではないか。そうでなければ、「気が付いたら戦争に巻き込まれていた」という状況を繰り返すだけにしか思えない。太平洋戦争の戦争体験だけが今後の日本の平和を考える縁ではない。彼の戦争の後の75年間、日本の社会が何を体験し、どのような選択をしてきたかの体験・検証の方がより重要だと思うのだが。そうしなければ、今後の日本の選択は再び一部の上層部・専門人たちの手に委ねられることになる。再び「気づいたら・・・になっていた。」という日を待つしかないことになる。

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レジ圧の増加?

2020-08-14 | 日記

コンビニのレジ袋が有料化されたからレジ圧を感じる人が増加した、という話を聞いた。以前はレジ袋に店員が詰めてくれていたのだが、エコバッグを持って自分で詰めるのでより時間が掛かるようになったと言うのである。

 まぁ、何事に付け待たれ・待たされるのは世の常なので、想定された織り込み済みの変化に過ぎないと思うが、実際それを苦にしてコンビニから遠ざかる人までいるという。

 レジ時間の伸びの検証として、店員に聞かれてからポイントカードをバッグから取り出したり、金額を言われてから財布を取り出すとか、レジを打つ間は待ち続けレジ完了の後にエコバッグを取り出して詰め始めるという設定もいただけない。最大限時間を掛けて計って「レジでの時間がこれだけ伸びた」と比較するのもどうかと思う。基本、変わっているのはレジ袋かエコバッグかだけなので、その比較だけで良いのではないか? 慣れた店員が袋詰めするのと客がエコバッグに詰める時間を比較すれば確かに慣れた店員が早いと思うが、数十秒の差は出ないだろう。以前は客がカードや財布を取り出す間に店員が詰めているというが、カードの処理や金の受取り、そしてつり銭を渡す間は店員の袋詰めの手が止まるのだからどちらが先でも時間は大して変わらないはず。結局、変わったのは「店員が詰めれば、レジ待ちの ”圧” を店員の手際のせいにできたが、自分で詰めるようになれば袋詰めの間の ”圧” を自分が感じなければならなくなった」ということではないか。

 コンビニやスーパーのレジが今ほどシステマティックでなかった時代、次の客を待たせてしまうのも待たされるのも当たり前だったと思う。早くレジを終えようとポイントカードやプリペイドカードを手元に用意し、金額表示の積算を見て店員の請求より前にお金を用意するのも、それを ”圧” を感じたせいだと言えば確かにそうである。しかし、人間社会でそのような "圧” が存在するのは当然で、お互い様で済む範疇ではなかろうか。それを知った上で”圧” を感じる側も掛ける側も互いを気遣うのが社会の常識、いわゆる「日本人の思いやり」という自負に含まれるのではなかろうか。

 待つ側は文句を言わない、待たせる側は時間短縮を心掛けることを当然と考えて来たはずである。世界が驚いた日本人の美徳、「列に並び、順番を守る」「黙って静かに自分の順番を待つ」の当然の発露で良いではないか。それを「レジ袋有料化の弊害」とか「あらたなレジ圧の発生」などと問題視する理由が分からない。必要なのは「変革の当然の帰結として若干の待ち時間が発生した、が、その些細な ”圧” を良い社会に進むための一人一人の貢献と感じよう」とする発信ではなかろうか。理由と必要性があって「レジ袋が当然の便利な社会」から「プラスチックを減らすためのレジ袋有料化社会」に進もうとしているなら、レジ圧の若干の増加はその変革に付随する「容認可能な」変化と捉えるべき。当然、それを取り上げるならば、「レジ袋有料化によって得られる新たなメリット」との相殺を考える姿勢が伴っていないと「単なる我がまま」に感じられてしまう。

 もし皆が本気でプラスチックを減らす気なら、これくらいの「不便」では済まない。不便に耐え、様々な場面での "待ち” や ”圧” を乗り切らなければ変革はない。新聞紙で包んだ野菜や魚を入れた買物籠を下げていた世代、時代の変革を目撃しようと大阪万博の真夏・炎天下で3時間をアスファルト上に並び待ち続けた世代は、その「不便」と今の「当然の便利さ」の違いを体験として良く知っているはずである。 

 

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流星群

2020-08-13 | 日記

昨夜、ペルセウス座流星群が観測できたというニュースがあった。最大で1時間当たり30個、というから約2分に1つである。これが多いのか少ないのかが良く分からないが、いずれにせよ昔「流星雨の写真」でイメージしていたほど、同時多発的に現れるわけでは無いだろう。ずっと以前の11月、しし座流星群の大出現の年と言われたことがあった。自分も2階のベランダに出て見ることができたが、同時に2~4個の星が流れるを見たのはその時だけである。また、流れ星が途中で爆発するのを初めて見て驚いたことを覚えている。調べてみると、その時には日本で1時間あたり1000個くらい出現したとあるので、昨夜の流星出現数はその30分の1くらいという事になる。

 流星群というのは、地球が何かの彗星の軌道を横切るときに現れるのだと書かれていた。彗星が軌道上にまき散らした塵や破片が地球の大気圏に落ちて燃え尽きるのだという。彗星は太陽に接近するごとに徐々に壊れて(溶けて?)小さくなっていくのだから、歴史上で知られている流星群においては、流星の出現個数が年ごとに少なくなのだろう。写真や挿絵で見るほどのものではなくとも、流星群の出現と聞くと何故かしら、夜中に寝床を抜け出し夜空を見上げてしばし待ってみたくなる。

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草引きで減量?

2020-08-12 | 日記

2~3日、毎夕方に庭の草引きを続けた。そうコミカンソウがまだまだ蔓延っているのだ。毎回1時間前後、ずっとしゃがみこんで草引きをしていると、30分を過ぎたあたりからジワッと汗ばんでくる。終わる頃には首から胸の辺りを汗が流れる感触がある。・・で今日、草引き終了後に体重を計ってみた。これだけ汗が出ればその水分に応じて少しは体重が減っているのではないか、と考えたから。

 実際、予想が当たっていた。というか、予想以上かも知れない。0.3~0.5 ㎏も減っていた。近くの公園を5~6㎞ 歩いた時と同じくらいの効果?である。1時間の歩行と1時間の草引き、確かに時間的には同じくらい掛けているのだが、運動量ははるかに少ないと思う。ヨガやストレッチでも痩せるとは聞くので、じっとしゃがんだ姿勢を保つ草引きも意外なカロリーを消費しているのかも知れない。その後、冷たいお茶などを飲んで少し戻ったが、基礎代謝自体も上がったのか3日前に比べて0.5 ㎏ 程度体重が減ったようだ。上手く行くと、もしかして「草引きダイエット」? いや、食事を伴わない方法なので本当はダイエットではなく、痩身法というべきか。確かに、初めは「痩せるためのダイエット(食事法・食事療法)」と言っていたのに、日本ではいつの間にか、痩せること=ダイエットという使われ方になってしまっている。

 もし「草引き痩身法」が現実なら、わざわざ公園まで「歩き」に出かけなくても、このまま庭の草引きを続ければ夏の終わりには1~2㎏ の減量が可能かもしれない。コロナ禍であちこち出掛けることも趣味のスポーツもままならない中、草引きに新たなモチベーションを発見した気分。コミカンソウだけでなく、メヒシバも全部取るか!! もちろん、熱中症で倒れてはシャレにならないので「夕方、庭に水を撒いた後の草引き」である。

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