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映画「日本沈没」と今

2020-08-11 | 日記

少々ひまがあったので、先日録画した「日本沈没」(1973)を見た。話題になった原作も読まず、映画も見ていなかった。たまたまテレビの番組表にそのタイトルを見つけ、一度くらいは中身を見ておこうと録画しておいたのだ。

 47年も前の映画なので、随分と懐かしいものがたくさん出て来た。今は亡き俳優や、ご高齢で今も活躍している俳優さん達の若く生命力あふれる姿が嬉しかった。映画の中で山本総理(丹波哲郎)が「なぜ日本のすぐ横にこんなに深い溝(海溝)があるのかね?」と聞くシーンが印象的で、今は当たり前のプレートの動きやマントル対流という言葉がまだ新鮮だった時代だと感慨深い。映画の中でプレートテクトニクス論を第一人者の竹内均博士が政府幹部に説明するシーンがあった。この映画に出演していたとは知らなかったが、日本に火山が多い理由や地震が起きるメカニズムの啓蒙にこの映画が役立つことを願って出演されたのだろうと感じた。

 その他にもソ連という言葉が出てきたり、47年の歳月を思わせるものがたくさん。まだパソコンなどもなく、自身計測の機器もGPSでの地盤の動きのデータもない。今から考えれば、あの程度の観測機器のデータと計算能力でどうやってシミュレーションが作れるのだろうと言いたくなるほど。でも、あの時代にはまだ、あれが精一杯だったのだと諭されているような気がした。それを思えば、あの映画の後、「東海大地震」への警戒も重なって、地殻変動の計測技術や計測機器は随分と進化し、観測は高度化したものである。

 主人公の一人小野寺(藤岡弘)に婚約者から緊急事態の電話が掛かってくるが、富士山の噴火から逃げる人々が過ぎていく中で道路脇の公衆電話から掛けているのだ。あの頼りなさ、電話の繋がりに縋り付くような気持ちは今の若者には分かって貰えないだろうと思う。今なら歩きながら携帯電話、いやスマホで一言告げ、さらに避難を続けながら細かい話はメール送付になるだろうか。彼らはその後もすれ違いながら、最後のシーンではそれぞれが日本を脱出しているのだが、互いに連絡を取る方法はなく再会できるかどうかは視聴者の希望的想像に任せたままで終わる。今ならば、居所と行先をメールかラインで送れるから、再会はほぼ確実の印象を残したラストシーンになるのだろう。

 そうか、あの後にパソコンが現れて普及、阪神明石大震災を契機にインターネットの利用が広がった。人々は当たり前にメールのやり取りをするようになり、スマホでGPS位置測定ができるようになってから10年くらいである。映画「日本沈没」時代の技術と心情を体験した自分が今の現実ではパソコン・インターネット・スマホを使って生活していることに、ある種の驚嘆を覚える。時代の変遷・技術の進歩というのは恐ろしいものだ。今から47年後の未来は、過去の変化よりさらに大きな情勢変化と技術革新の向こうにあるのだろう、と想像する。一人の人間が感じられる時間の中での変化の速さ・加速度・大きさに呆然とするしかないという気持ちだ。