この災害では、何度、涙しただろう・・・
目の前で肉親が津波に流されその安否の情報を求める家族。
新築したばかりの家を失い、呆然自失・・・
入学を目の前に、我が子を失った、悲痛な親の叫び・・・
住民に避難を呼びかけ自ら波に飲まれた、警察官・・・
福島原発で避難してゴーストタウン化した町を牛が5-6頭
歩いてる異様な光景、こんな悲惨なことがあって良いの
だろうか、被災者にかける言葉もみつかりません。
そんな悲しみのどん底にいた人々も、立ち上がり始めています。
あの瓦礫の山をかたずけ、仙台空港が復旧したと云う・・・
まだまだ不便で 全面復旧とは行きませんが、それでも乗客が
変わらず利用してくれたことは、うれしく、涙が出てきます。
震災から1ケ月余も経ちPTSD(心的外傷)の症状が現れ、
精神科医が患者を抱きしめながら、共に涙してました。、
「苦しかったでしょう、悲しかったよね、泣いて良いのよ
思いっきり涙が枯れるまで・・・泣いたら、前にすすもうね!」
とこちらも、もらい泣きをしながら声をかけたくなります。
悲しい涙から、感動のうれし涙に・・・これからはこのうれし涙の
日増しに多くなっていくことを願ってやみません。