日本語は1000年かそれ以上に、正史の記録で言えばおよそ1700年に及ぶ歴史がある。その経緯でひらがなによる日本語発音を工夫定着させた。カタカナは同時期に外国語音を写し取った。ひらがなという呼び方は室町期以降のことであるが。
外国語は大陸の言語を主に文字としてとり入れた。漢字と仮名の呼称として、真名仮名はまなかな、名は字として真字仮字という理解である。そして仮名による表記と漢字に . . . 本文を読む
踊り字はそれだけでは読めないのに何と読むという質問が合わないと新聞広告を見ている。その答えにはまた、広告でそのまま同の字点としている。出版社のコピーだから本は実際にどう書いているだろう。
柳の下に2匹目を見つけたか、ドジョウがにょろにょろ。
コピーを確かめるべく広告サイトに行くとあとがきのような宣伝もついていたから引用しておこう。
1冊目を読んだときにばらばらの書きように、国研ら . . . 本文を読む
AIをおそれて、ありがたがって、便利な道具にしようとか、悪用されれば偽情報の巣窟となりそうだし、著作の権利はどうかなどなど、AIに学習提供するかどうかと情報発信のデータを持つところは流用の懸念をする。コンピュータ言語の仕組みで言えばメモリーに蓄えられたものはもはやだれのものでもなくそれを権利がどうだの書いたのはだれか私だとかで境界を設けたいのはビジネスに絡むからでもあるしなによりも便 . . . 本文を読む
AI エーアイ と、なじみにくい言葉である。人工知能というには学習機能でまだまだだったのが、機械学習とか深層学習とかいって、少しは使えるのか、電子頭脳は計算による処理で使える、その応用があって、部分的にせよ、そういえばなんとなく、電脳となるが、画像で500000枚の写真を記憶して病理判断つまり診察するとかでそれってAI、人工知能と言えるのか。
1956年に米国の計算機科学研究者ジョン・ . . . 本文を読む
ウイキペディアの文法、文、文の成分、主語の項目を読む。
批判文法は日本語文法について書く。その基本は国語文法の規範による。
むずかしい議論はこの批判文法の提示によるので、まずはその日本語文法の輪郭となるように書く。
さきの項目に見える内容は広い立場による文法論議があるので日本語文法に及ぶところを参照する。
しかし批判にあたる説明は焦点があるのでそれによる。文法の項目に次が見える。 . . . 本文を読む
さて、批判文法とはどうなるか。語構成としての意味のとらえ方とこの熟語としての意味となると違いがあるようである。
日本語の語順にとらえればどうなるかと思い起こせば国語の語順で批判する文法という読み方にもなるので、古今での批判が動詞であるという読み方にも議論が必要であるが、批判にまつわる語句となると、 . . . 本文を読む
どちらも命題になるのは、二つを生きる困難がある。
antinomy
哲学では相互に矛盾する命題、定立と反定立
日本はこの二つに常にあっていずれをも成立させる困難がある。
核廃絶と核抑止のはざま、国家財政に経営理念の税、民主政治か専制権力かにおける自由と統制と、言語においても日本語と国語がある。
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