部族国家と言ってよいのかどうか、宗教色のゆえか、遠い地域、国のような気がする。アラブと聞けば石油思い浮かんだころがあった。それはいまも変わらない。そのニュースが、サウジアラビアがイスラム教シーア派の指導者ら47人を処刑し、イランとの国交断絶を表明したというものである。サウジとイランの対立は中東複合危機と呼ばれる形で米国、ロシアのの思惑が絡む。スンニ派対シーア派の宗派戦争に発展するという構図が生まれると、わたしたちの理解を超えるところがある。ISの引き起こすテロが加われば、ますます、その様相の解決の困難さを思わせる。背景に宗教があり、その上に経済があり、地域の格差となる。イランは、しかし、国際社会というものを政治にも社会にも持つのだろうか。あるいはあまりにも西欧化された尺度で世界を見すぎているわたしたちなのだろうか。 . . . 本文を読む
大学をめぐる議論という日経コラム、世界で生きるための教育を 価値観変わる体験させよ というタイトル、卒言直言を読んだ。いま行われているのは、付載する図表では、世界の大学ランキングでの日本の大学の低下、人文社会科学系の組織改革、そして実学の強化か教養重視か、というものだと記事はまとめている。インタビューがあって、は2014年11月から京都大学の総長顧問を務める方の発言だ。大学への発言も積極化しているそうで、視点は、日本の学生にも、起業しようとか、海外で何かやろうといった意識をもっと持たせられないものか。海外のインターンシップにどんどん行かせるとか、価値観が変わる体験をさせてほしい、ということにある。>30年くらい前と今では日本の大学の置かれた状況が違う。大学生がある程度希少だったころは一般と違う教育に意味があった。大学生が増えた今は、特に難しい学問は大学院でやる方がいい。 . . . 本文を読む
憲法を改正する、というが、正になるのか、改訂なのか。世野党の造語で、護憲、改憲、創憲と、右から左までを思わせる。野党のホームページに、あなたはどちらと、護憲、改憲、論憲、加憲、創憲、壊憲とならべて、憲法をないがしろにするような囃しようである。憲法改正論議とは、どの条文をどうするのか、その根底にある日本国民のための理念はどうするのか、議論に巻き込まれてはその枝葉になにがあって、根本には何があるのか。平和に70年を現行憲法下で生を得てきていると、ここにいたって、憲法を改正するとなるとやはり世代に受け継がれた盤石な憲法を思う。若者たちが憲法をとらえての議論には、基本的人権、国民の生活と権利の保障、自由と民主のバランス、そこにある象徴天皇の制度、sy会と教育の公正さ、国の存立を理念にすると、などなどが、浮かび上がる、しかしそこには軍隊の規定はない、自衛隊のの規定があったかどうか、国防論議となると、その実態には触れるところがない。するとどうも、議論をしているのは、戦争する国か、戦争を放棄して平和追求の国家かと、そこに焦点があることを知り、改正の議論は改悪ともなりかねない覚悟の議論となる。 . . . 本文を読む
2016年の新成人人口は121万人で、男性62万人、女性59万人のようである。新成人は、21年ぶりの増加となった2015年より5万人減少し、総人口に占めるの割合は0.95%で、6年連続で1%を割り込んでいるそうだ。成人は成年に達すること、その生年は、法的には、単独で法律行為が行えるようになる年齢のことであり、一般社会においては、身体的、精神的に十分に成熟する年齢を指すことが多い、と解説する。未成年という語を使うことがあり、法的制約を受ける用語となる場合がる。成人という用語よりも成年というところに法律用語の規定がある。民法における成年を20歳とすること、これに係わって、政治への参加という、選挙権を年齢見直しの議論がある。成人というのが大人であるとのみかたは、また大人とは何かと、これまた、成人を迎える個々の覚悟となる。通過儀礼であった元服、それに類する風習がいろいろと地域で見られる。多くは社会への仲間入りを認めるということで、自覚をうながす機会となるようである。 . . . 本文を読む
資本主義、市場経済の自由主義が世界の基準となった。格差を生み出す要因に経済構造による貧困を脱することのできない社会がある。その貧困も見る側の世界と違いを抱える。シリア内戦に象徴される年明けとなった。天声人語に書いた、ウルトラマンの教えること、>聖戦の名のもとでテロという蛮行が続く。しかし対抗のための空爆も、巻き添えになる民間人からすれば蛮行ではないのか。歴史をひもとくと、正義の独占はしばしば惨劇をもたらしてきた▼人間の尊厳を求め、自由や平等の価値を打ち立てたフランス革命は、同時に恐怖政治も生んだ。「人民の敵」だとレッテルを貼られた多くの人が、断頭台に送られた▼正義を相対化するための一歩は、自分はどこまで正しいのだろうかと、相手と向き合うことだ。少し弱気に。シリーズの初期に脚本を手がけた故・金城哲夫氏の言葉を、同僚だった上原正三氏が著書に記している。「よーく見てご覧なさい。ウルトラマンの顔。怪獣に話しかけていますよ」 . . . 本文を読む
文章を分析すると文の種類には単位文をとって、単文、複文とみることができる。その単文は主語を持つものと持たないものとに分けられて、文の規定を充てれば文の文節としてのみ構成する分がある。すなわち主語を持たない文は文節また連文節であるか、句のままに文章を構成する。単文において核となる主語を持たない文は、述語をもって文の単位に準じてとらえることになる。主語がその文情報に現れていないのは文章にあるということであり、文脈をたどる。文の要素を規定するものの、その文の成分を文章に見出す。これはまた、文と文、文と句が関係構成して文情報を補い合うということである。連文節がそのまま文であるか、句であるかは文に属するかどうかを見ることになる。複文はそれを併せ持つことになる。文章を単位とすると、単文、複文のほかに述語を持たない句また文がある。ことばのいいさしとなる用法、名詞止めに現れる箇条書き用法、加えて感嘆を示す用法である。文芸になるとその文章には文に相応する表現法がある。 . . . 本文を読む
文章を解析する。用語は日本語文章を対象に、その構成要素を調べることを指し示す。文章の本質が何か、それは意味のまとまりを明らかにするので、文章の単位ごとに現れる。しかし文節である語と文、段落と文段、その章の構成と文章、というふうに明らかになる。文章を解析する方法は文章のまとまりをどう分析していくか、その方法にある。日本語文章の構成はその読みときかたによって明らかになる。ある文章を例にしてみよう。文章の冒頭は、>冬のいろり端を母子が囲み、暖を取っている。 文章の末尾は、>版画一辺倒だった父の創作にかける思いを、多くの人に伝えることができれば息子としても本望だ。 この書き出しと末尾に結ぶ文章は、次のように構成がある。冒頭の段落は、次のようである。>冬のいろり端を母子が囲み、暖を取っている。ちろちろと赤く燃える火の上につり下げられた鉄瓶、黒光りする柱、簡素な食器がきちんと並べられた戸棚。私の父、勝平得之(かつひらとくし)(1904~71年)は、ふるさと秋田の暮らしを無数の木版画に残した。時代の流れの中で消え去った風俗を今に伝える貴重な史料でもある。 . . . 本文を読む
NHKドキュメンタリー、激動の世界を観た。EU社会の現実である。フランスのテロ事件、ドイツの難民受け入れ、ギリシャの債務と、その変動は理想の共同体をゆるがす。現実は困難のまっただなかにある。地域の利害があらわになる。新大陸、新国家、新地域にひしめく民族である。この10年が戦争の世紀であったなら、もう世界の新秩序は壊れまいとかすかに思わせたEUの共同体であった。しかしその周辺にはまだ部族争いがある。見える側からの世界と、見せない側からの世界がシリアにある。 . . . 本文を読む
文章には主題がある。書き手による話題と言ってもよい。主題はテーマである。このカタカナ語はわかりにくい。文章のテーマとなると、それは文章のタイトルでもある。文章にタイトルをつけてそれをまた文章の要素とすることができる。主題があり、テーマとなり、タイトルとなる。そうすると、主題と話題はとらえようが異なってくる。話題である限りは題目のようなことになる。題目のようなことというのは、文章にならずとも、話題は書き手によるものから、その話し手に対する聞き手との間だで話題が取り決められると、それを題にして行われる。文章は書き手による主題をもとにまとまった内容となる。文が書き連ねられて主題を持つ、それは複数の文による文章の主題となる。 . . . 本文を読む
今年の動向は18歳にあるとばかり、メディアの歓心、いや関心の方向がある。政治に票を投じることが成人の証であったような物言いがあったころからすれば、その権利を持った社会参画が実現する18歳人口である。学校時代とひとくくりに言うと、義務教育とそのあとの数年があった。しかし、高校3年を終えて、すぐにも社会参加の大人であるということになるので、大人社会の見方を変えなくてはならないか。出世する、社会で一旗揚げる、この仕組みに係わることは、やはり経済実力となる。スポーツの能力と、学力の証明は、高校生であれば限られたことである。早い出世がもてはやされるような気もする。新聞のトップを飾る、連載特集18歳を歩く、朝日デジタルにもそれが現れる。政治の論議は学校時代からその主義主張をあらわにする。どのくらい社会に影響をするだろう。 . . . 本文を読む