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ネオ日本語

2022-08-11 | 日本語文法ネオ版

ネオ日本語と言えば、そのように名付ける日本語があることになる。現象をとらえれば日本語になかったということでネオ日本語と言えるかどうか、ちがくて ちがかった ようの誤用から出た言い方を辞書に採用するのはとんでもないことだけれど、その日本語の世界はネオなのかもしれない。
実は、ネオ方言とした方言学者に説があり、それを日本語教育能力検定に出題があったりするものだから、そのままの解説がサイトにあったりする。井上史雄によって新方言という術語が提唱され、ネオ方言となったが、この方言は地域と使用の継承が見えるものである。
位相語の、位相が違った域に及べばその後の普及によってネオ日本語を作る。
さて日本語文法ネオ版のついてはどうか。

2022/08/11 文法観があるなら

 国語文法は学校文法にわかりよい。国語に対する批判は時代を経てきたようであるから、受け止めるべきは糺して国語教育の連続をとらえる。その一方で日本語文法を現在の教育文法に見ようとすれば日本語教育文法を知ることになる。言語習得の実践用の文法として便宜たてられる解説はやはり批判すべきをもってとらえることになる。日本語教育文法で習得用の段階にある説明はわかりよいだけに応用すべきである。国語文法と日本語教育文法とを折衷するような理論はかなり難しいと予想できる。なぜなら、いわば書き言葉の国語と、いってみれば話し言葉の日本語であるから、折り合いはつきにくい。そのもとを探れば口語とともに文書語としての漢字漢語の影響があるから、その統合を図るネオ版である。

 文法観は言語観の応用にある。言語観を唱えた国語学者、その言語観は時枝誠記学説による言語過程観である。ソシュールの学説を言語構成説とする言語構成観に見たのである。それによって言語研究の流れには言語道具説と呼ぶべき考え方があり言語の道具観と唱えるものがある。言語の学説は哲学によるところで、その思想に言語教育が見える。日本語教育に時代に見るものがあった。国語については国家観を背景とした解説が見えたりするので言語観を扱う困難がある。議論を文法に絞り込んで学校教育の文法観について国語科教育に特徴を顕著にする文節主義と名付けるのがあったりすると、外国語教育にはどのような文法観が成立するのであろうか。




(以下、再録)
引言
 現代語文法、国文法、口語文法という名称にある、国語の現象に、日本語文法を記述する。ネオ版とする。ネオは新しい、復活の意味を加える。文法は理論である。理論は言い換えれば言語の現象にある法則を説明するとらえ方、考え方である。
 理論的な名称についてみると、国語学で言えば時枝学説による言語過程説があるし、渡辺実学説による国語構文論がある。一般的に広く知られているとみてよい橋本進吉学説は学校文規範として文節によるとらえ方がある。山田孝雄による日本文法論は理論の先駆けとなった。
 国語文法は文献実証を旨とした。その旨とは文語文法とする体系にある。いわば歴史にとらえる通時体系の文法である。古典語文法と称するのは、その通時において近代までの変遷を含む。そのもとには平安時代の文章を規範とし下って江戸時代の国学者に実証分析がある。
 現代語文法に日本語の記述をするものがある。理論の体系を構築する学説が見られるようになってきた。なかで嚆矢となる寺村秀夫学説はその記述に道半ばで後進にゆだねている。知る人、取り上げる人は少ないが、言語学辞典に理論の体系を示している。
 見るべきは多く、教育実践から日本語に文法分析を加えるものがある。日本語教育文法と称する類で、説明には実用をもってする。なお新しく理論体系とするには、たとえば主語を補語とみる解説があったり、文を規定しないものもあったりで、日本語の習得にかかわるだろう。
 日本語文法ネオ版はネオ日本語文法となるとそれはそのままに新日本語文法となる。呼称にすでに新日本語文法選書のシリーズがある。新日本文法の著述も見られるところである。文法ネオになるには記述文法と名著との隔たり大きく、日本語文法ネとなるかどうかである。
 なお、国語文法には、わたくしに時枝学説の学びがあり、古典語には源氏文章の読みがあり、筆者に、惹いては宮地裕学説の敬語論、表現論、文法形態論の学恩を得ている。


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