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令和談義

2022-07-19 | 万葉語り

令和年号は国書から語を選定したとその経緯が広く人に知られるところとなった。中国漢籍からの出典を国語の文献からという議論は採用した万葉集にてらして意見が出された。元号としての語の扱いもあって落着したのが文字の組み合わせと語義、そして音感にあったのであるが、それでなお万葉歌の成立解釈から強く主張した意見として、解説が研究者の立場から出されている。年号に触れるのはおそがいような、その焼却炉の灰から消し炭を取り出すのでもなく、もう一度見直してみたい。

2020年5月で記事が切れて1年がたつ。その前は
 万葉集  2013/10/13  から、このブログで記載している。
 万葉語り2 2014/02/01 から、万葉語り33    2014/03/10   まで。
ここに再々録して、いささか、万葉集についての思いを述べてみたい。




https://www.hakusuisha.co.jp/news/n32525.html
品田悦一「万葉ポピュリズムを憂う」


万葉ポピュリズムを斬る
品田悦一
https://www.books-sanseido.jp/booksearch/BookSearchDetail.action?shopCode=&areaCode=&shoshiKubun=1&isbn=9784065209271
要旨情報
日本が「新元号」の祝賀一色に染まった2019年。「令和」に込められた、万葉歌人・大伴旅人の反体制のメッセージを読み解き、当時の安倍政権の「美しい国」の虚構を見事に看破した品田悦一氏。そして視線は、「安倍後」へと移る。
出版社コメント
そこのけ、御用学者ども! 数ある便乗本よ、焼却炉の灰となれ。「維新」「大戦」、そして「令和」――。「『万葉集』には天皇から庶民の歌までが収められている」という虚構を、近代以降の国家権力は利用し続けてきた。新しい年号は令和。出典は「国書」である万葉集――2019年に安倍首相が幅高々に発表した直後、東京大学教授・品田悦一氏の「戦い」ははじまった。「令和」の典拠になった「梅花歌」序には、さらに中国漢籍の「典拠」がある。そこには、1300年前に大伴旅人が込めた、「権力の横暴を許すな」という反体制のメッセージがある。安倍首相はそれを知らないのだ、ということを明らかにした。品田氏の反論は、Twitterで一気に拡散し、全国紙にも取り上げられた。だれが首相になっても変わらない!われわれは踊らされてはいけない、ぼーっと生きてではいけないのだ。天皇や貴族から庶民の歌まで載っている『万葉集』にあやかって、人々が美しく心を寄せ合う世の中を作りましょうというのは、「美しい国」が立ちゆくために国民に犠牲を払ってもらおうという方向へ誘導しようというものではないのか。令和という年号からわれわれが読み取らねばならないのは、なんなのか。
 目次
一身上の弁明―まえがきに代えて
第1章 「令和」から浮かび上がる大伴旅人のメッセージ(最初の寄稿)
第2章 『万葉集』はこれまでどう読まれてきたか、これからどう読まれていくだろうか
第3章 「令和」から浮かび上がる大伴旅人のメッセージ(よくわかる解説篇)
第4章 改元と万葉ポピュリズム
あとがきに代えて

https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000344941
(本書のおもな内容)
 「令和」から浮かび上がる大伴旅人のメッセージ
「令和」の典拠となった、大伴旅人の「梅花歌」序。京都を離れた太宰府で梅の花を愛でるという、歌の宴。「梅花歌」序は、中国漢籍を踏まえたもので、典拠に込められた「真意」までたどりついたとき、われわれは「令和」の本当の意味を知る。藤原氏の専横、長屋王の謀殺。中央政治の腐敗に対し、遠い太宰府から、大伴旅人は、どのようなメッセージを込めていたのか。まるで古代ミステリを読み解くようなスリリングな論理の知的興奮と同時に、現代人は旅人のメッセージを自分たちのものとして受け止めなければならないことを痛感する。
 「万葉ポピュリズム」を斬る
日本女子大で開かれた熱い講演を、大幅加筆修正して収録。『万葉集』を利用しようとする国家の作り上げた幻想を打ち砕き、さらには、「元号」「改元」という言葉の「怪しさ」を明らかにする。
一、「改元」というのは元号を改めることではないのだ、そもそも「元号」というのは変なことばなのだ。
二、『万葉集』には天皇や貴族の歌だけでなく、農民や防人の歌までが収録されていると言われることがあるが、それは大きな間違いである。
三、『万葉集』にあやかって、人々が美しく心を寄せ合う世の中を作りましょうというのは、「美しい国」が立ちゆくために国民に犠牲を払ってもらおうという方向へ誘導しようというものではないのか。



佐佐木信綱ら 校本万葉集  1924‐25
正宗敦夫 万葉集総索引  1929‐31
久松潜一他編  萬葉集大成 全22巻セット 平凡社  昭和28−31



https://www.wikiwand.com/ja/
校本萬葉集
>佐佐木信綱・橋本進吉・武田祐吉らが1911年(明治45年)より、万葉集の定本を作るために校本を作成したものである。底本には寛永版本(寛永20年(1643年))を用いた。最初に刊行された1924-1925年版(本項目では仮に「正編」と呼ぶ)は、寛永版本の本文を数行ごとに切り離したものをもとに、諸本の校異と諸学説の書き入れを手書き文字で付した形で刊行された。1931年以降に増補された部分については活字で組んだ体裁で刊行された。


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