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禅の家風

2017-04-16 | 新語・社会現象語
禅は、熟慮、静慮という意である。中国語訳になる原語は、禅那また禅思から、禅だけを名称とした解説がある。ディヤーナ、サマタ ビバッサナーというサンスクリット語である。その教えには、禅を方法とする問答に代表されるが、言葉による、ということではない。思索、瞑想と、ことば、喝である、その特徴には、脳の働きにあるのだろう。仏性はあるか、ないか。本来にあってもよく、なくてもよいものを脳内に探すというわけであるから、その隅々までを活性化することになる。寝ても起きても修行として仏性を見る、得る、達するというのは、その活動を、直指人心、見性成仏、するともなく、しないこともなくして、脳の働きを転換することにある禅である。本覚、仏性、霊覚の何たるや。禅の思想の発展から、分類される禅は、外道禅、凡夫禅、小乗禅、大乗禅、如来清浄禅とある。そして家風による、黙照禅、看話禅、祖師禅、念仏禅、一字禅、三字禅 ボウ蛤禅、野狐禅などがある。


>講談社学術文庫の1冊、禅語散策、田上太秀さんの本による。禅とはサンスクリット語の dhyāna の音写、禅那の略である。ディヤーナ。パーリ語では jhāna。ディヤーナは動詞ディヤーイから名詞に転じた。熟慮、静慮という意味、宗教的な語では瞑想、注意となる。禅は音写、禅那また禅思から禅だけを独立して用いられるようになったという。釈尊の修業はパーリ語のサマタ、止、ビバッサナー、観、つまり、止観である。釈尊が菩提樹のもとで行った座禅を継承している。そして、結跏趺坐をする。ここで、この書に見える、禅問答から生まれた禅語をあげると、つぎに、竿頭進歩、懸崖サッシュ、撒く手と書く、絶後再蘇、婆子焼庵、がんのうびちょく、目が横、鼻がまっすぐ、非風非幡、冷暖自知、風性常住、丹霞焼木仏、山河並大地全露法王身、日日是好日、平常心是道、一日不作一日不食。


次は、ウイキペディアより
>音写である禅那(ぜんな)の略である。他に駄衍那(だえんな)・持阿(じあな)の音写もある。他の訳に、思惟修(しゆいしゅう)・静慮(じょうりょ)・棄悪・功徳叢林・念修。
禅の字は元来、天や山川を祀る、転じて、天子が位を譲る(禅譲)という意味であった。これに「心の働きを集中させる」という語釈を与えて禅となし、「心を静かにして動揺させない」という語釈を与えて定とし、禅定とする語義が作られた。

止観
>止観(しかん、梵: śamatha-vipaśyanā)とは、仏教の瞑想の主なものである。サンスクリット語から奢摩他・毘鉢舎那と音写されることもある。
仏教では瞑想を止と観の二つに大別する。止(シャマタ:奢摩他)とは、心の動揺をとどめて本源の真理に住することである。また観(ヴィパシヤナ、毘鉢舎那)とは、不動の心が智慧のはたらきとなって、事物を真理に即して正しく観察することである。このように、止は禅定に当たり、観は智慧に相当している。

>禅宗での血脈相承を法嗣と呼ぶ。釈迦以降の法嗣は次のように伝えている。
釈迦-摩訶迦葉-阿難陀-商那和修-優婆毬多-提多迦-彌遮迦-婆須密多-仏陀難提-伏駄密多-波栗濕縛-富那夜奢-阿那菩底-迦毘摩羅-那伽閼刺樹那-伽那提婆-羅睺羅多-僧伽難提-伽耶舎多-鳩摩羅多-闍夜多-婆修盤頭-摩拏羅-鶴勒那-獅子菩提-婆舎斯多-不如密多-般若多羅-菩提達磨
マハーカーシャパ(摩訶迦葉)はバラモン階級出身の弟子で、釈迦の法嗣とされる(法の継承者)。拈華微笑といわれている伝説が宋代の禅籍『無門関』に伝わる。

>二十八祖ボーディダルマ(菩提達磨)(南インド出身)が中国に入り、禅の教えを伝えたとされる。達磨は中国禅の始祖となった。

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