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三上学説、文法がわかっていない

2023-08-01 | 日本語文法論議23





日本語文法論議23801    
   
主語廃止論の根っこは国語に二重主語があるといわれていたころの文法批判によることを三上学説で言い続けていることを知る。そうしてそれを、かの、象は鼻が長い構文でセンセーショナルにとにかく具合が悪いのであると、象の鼻が長い、とすればいいんじゃないかと言い出して用語の廃止を主語抹殺とまで表現をして教育界に波紋を呼んだのであるが、主語があってはナゼよくないのかというわけがさっぱりわからないだけでなくその論理の立て方もよろしくない。象は というのと、象の鼻 というのとでは、全く文の構造が異なることを分かっていないではないかといわなければならなくなる。またさきに主語となる翻訳文に補語だと感嘆した経緯を語るところがあり、それにはその日本文で補語の訳し方を思いついたらしくこれも主語の前提があるもとの文に対して日本語文の言い回しに、日本文となるとどうなるかを議論しない。日本語は言語を学ぶのである。自らも日本語を学ぶことが必要であるにかかわらず、その後の論理だてに係る主語の語順を取り上げて、主語の優位性が日本語構文では必ずしも現れないというので、主格となる主語の、それこそ格下げをして補語とする論理となった。その構文の立て方は全く日本語にそぐわない図式となるからそれを理由にするのは格助詞の機能を認めようとしない結果となって国文法学者の古文では当たり前に日本語に表れにくい主語のマーカー、目的語のマーカーもそうであるし、実際あらわれることはない主格の助詞に機能が備わるように、そこで文法となる主語目的語の省略という説明はともかく、古文だけではない近代の翻訳文体合わせた主語が見出されてくる。日本語ならばその言語の流れに主語を必須要素としない文というものを認めてきたことで、ほかにも文のパターンがあることだし、よくその文章を作ってみれば、対象となるその言語の現象には、古文から近代の文章に至るまでどうなってきたかを知るだろうに、文法を論じて文を見失ってしまったのかもしれない。



 
   
      




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