ラング、パロルの違いを知りたいとメールをもらった。
言語聴覚士にチャレンジをしていると言うので、いくつか、用語の困難をしていると言う。
言語学、音声学の内容の学習があるようだ。
それでまずは、ラングは言語の体系で抽象的に説明するときのとらえ方、パロルは話し言葉の実際面。
とするが、わかりやすく言うのは、サイトの質問に対してのベストアンサーのように、
>「ラング」は言語と思ってください。「パロール」はお喋りと思いましょう。つまり、「ラング」を「パロール」することなのです。皆がしていることです。
なるほど、ラングをパロルする、と言えるので、頭に蓄えた言語とおしゃべりするその言語とを区別して説明しようとしている。
となるが、はて、なぜそんなことをしたかと言われると、それが言語学の理屈だからとなる。
大雑把に言ってしまえば、近代言語学をソシュールのこの説明によって始まりとする。
それは、言語記号を言葉の体系とするのにいくつか考え方を立てて、話しことばの研究が最も大事としながら、一方で歴史的にも蓄えられてきた言語研究と、現在時で使われている言語の分析と、その側面をさまざま時間軸と空間の広がりとで言語を対比してとらえる。
とにかく、まず言語があるとしなければならなくなって、それがどこにあるかとなると、言語記号としてわたしたちが記憶し経験し、使っているものが、頭にあるとする。
まずはそれを取り出すことで、ラングと呼ぶから、これは使われている言語を記憶と経験の中で抽象していることになる。それを口にして、発音して、しゃべれば具体的に捉えられて、聞いている言葉を書くなりするとよいわけだが、そのおしゃべりそのものが言語の具体的なもの、パロルとなる。
パロルが何であるか、それがわかればよい、じっさいのはなしことばそのもの。
ただ、ソシュールが説明したのは、そのラングそのもので、パロルの研究は弟子たちにゆだねられた。
「社会情報学」基本資料
http://homepage3.nifty.com/tanemura/socio_info.html
>
パロール
「ソシュールの用語法では、話し手による言語の使用そのものを言い、潜在的な言語体系の次元であるラングから区別される。パロールは、フランス語の日常的な意味では、口頭で話される言葉のことだが、ソシュールにおいても、この語はときに文字、書記法(エクリチュール)と対立して用いられている。このような意味では、生理音声学は典型的なパロールの言語学であると言える」(前田[1998a:1293])
ラング
「ソシュールが「言語学の対象」として純粋に引き出そうとしたものは、ラングである。彼が言語学を学んだ時代、19世紀後半においては、この学問が対象としていたものの大部分は、印欧諸言語の史的変化だった。こうした対象のなかには、たんに生理的な発声現象もあれば、言語音の機能的関係もあり、意味にかかわる類推現象もある、といった具合で、これらのことがらの厳密な解明には、たがいに異なる方法が立てられるほかない、それにもかかわらず、歴史的言語学は対象の正確な分割を行なっておらず、相互に異質な諸現象の混合物をたったひとつの方法で扱っている。これがソシュールの言語学批判である」(前田[1998c:1662])
前田英樹、1998a「パロール」廣松・子安・三島・宮本・佐々木・野家・末木編[1998:1293]
前田英樹、1998b「ランガージュ」廣松・子安・三島・宮本・佐々木・野家・末木編[1998:1662]
前田英樹、1998c「ラング」廣松・子安・三島・宮本・佐々木・野家・末木編[1998:1662]
廣松渉・子安宣邦・三島憲一・宮本久雄・佐々木力・野家啓一・末木文美士編、1998『岩波 哲学・思想事典』岩波書店.
言語聴覚士にチャレンジをしていると言うので、いくつか、用語の困難をしていると言う。
言語学、音声学の内容の学習があるようだ。
それでまずは、ラングは言語の体系で抽象的に説明するときのとらえ方、パロルは話し言葉の実際面。
とするが、わかりやすく言うのは、サイトの質問に対してのベストアンサーのように、
>「ラング」は言語と思ってください。「パロール」はお喋りと思いましょう。つまり、「ラング」を「パロール」することなのです。皆がしていることです。
なるほど、ラングをパロルする、と言えるので、頭に蓄えた言語とおしゃべりするその言語とを区別して説明しようとしている。
となるが、はて、なぜそんなことをしたかと言われると、それが言語学の理屈だからとなる。
大雑把に言ってしまえば、近代言語学をソシュールのこの説明によって始まりとする。
それは、言語記号を言葉の体系とするのにいくつか考え方を立てて、話しことばの研究が最も大事としながら、一方で歴史的にも蓄えられてきた言語研究と、現在時で使われている言語の分析と、その側面をさまざま時間軸と空間の広がりとで言語を対比してとらえる。
とにかく、まず言語があるとしなければならなくなって、それがどこにあるかとなると、言語記号としてわたしたちが記憶し経験し、使っているものが、頭にあるとする。
まずはそれを取り出すことで、ラングと呼ぶから、これは使われている言語を記憶と経験の中で抽象していることになる。それを口にして、発音して、しゃべれば具体的に捉えられて、聞いている言葉を書くなりするとよいわけだが、そのおしゃべりそのものが言語の具体的なもの、パロルとなる。
パロルが何であるか、それがわかればよい、じっさいのはなしことばそのもの。
ただ、ソシュールが説明したのは、そのラングそのもので、パロルの研究は弟子たちにゆだねられた。
「社会情報学」基本資料
http://homepage3.nifty.com/tanemura/socio_info.html
>
パロール
「ソシュールの用語法では、話し手による言語の使用そのものを言い、潜在的な言語体系の次元であるラングから区別される。パロールは、フランス語の日常的な意味では、口頭で話される言葉のことだが、ソシュールにおいても、この語はときに文字、書記法(エクリチュール)と対立して用いられている。このような意味では、生理音声学は典型的なパロールの言語学であると言える」(前田[1998a:1293])
ラング
「ソシュールが「言語学の対象」として純粋に引き出そうとしたものは、ラングである。彼が言語学を学んだ時代、19世紀後半においては、この学問が対象としていたものの大部分は、印欧諸言語の史的変化だった。こうした対象のなかには、たんに生理的な発声現象もあれば、言語音の機能的関係もあり、意味にかかわる類推現象もある、といった具合で、これらのことがらの厳密な解明には、たがいに異なる方法が立てられるほかない、それにもかかわらず、歴史的言語学は対象の正確な分割を行なっておらず、相互に異質な諸現象の混合物をたったひとつの方法で扱っている。これがソシュールの言語学批判である」(前田[1998c:1662])
前田英樹、1998a「パロール」廣松・子安・三島・宮本・佐々木・野家・末木編[1998:1293]
前田英樹、1998b「ランガージュ」廣松・子安・三島・宮本・佐々木・野家・末木編[1998:1662]
前田英樹、1998c「ラング」廣松・子安・三島・宮本・佐々木・野家・末木編[1998:1662]
廣松渉・子安宣邦・三島憲一・宮本久雄・佐々木力・野家啓一・末木文美士編、1998『岩波 哲学・思想事典』岩波書店.