このブログはいつから始めたか。5418件ある記事数、いまアップ数は5500になんなんとする。編集ページから過去記事に、2013年1月2日に、始まりを書く。きっかけを得て、新聞コラムに感謝をする。そのころには、もじった名称をただすように、日本語百科とした。ネット上のサイト名に、ヒットするのは、日本語百科大事典の書名ばかりである。それにあわせることなく、日本語は歴史言語の特徴、それは古語の時代を、ひとくちに1800年超の言語であるということをもってすれば、日本語百科は通時でとらえるか、共時に見るか、という視点を持つことになる。1945年以降の時代区分を立てれば、そこに、現代日本語とする区分を立てることになる。日本語は古代から現代まで日本語に名称統一することがよいので、それを尊重しながら、当代の日本語から見るという、現代日本語の立場を持つことになる。現代日本語百科は、ブログのタイトルとして、けふもお元気ですか、と。
>久しく中日新聞のコラムに日本誤百科というのが連載され700回を数える。
いつもコラムを読んで、なるほどと思う一方で、日本語はそうなっていないなぁと考え込んでしまう。
限られた字数の筆者にとっては、いろいろと説明を尽きせずに行いたいところだろうけれど、それは制約のあることとして、ここにいささかの意見を述べることを許されたい。
現代日本語百科 きっかけをくださって感謝いたします
gooブログはじめました!日本語百科です。
自分で五、六字を書いて
Yamauchi Keisuke2013年4月7日 · 心塞がると百慮誤る 言志録21心の奥底がつかえふさがっていると、すべての考えがことごとく誤ったものとなる。......
自分で五、六字を書いて
2017-04-07 08:14:43 | まさごと
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2013年4月7日 ·
心塞がると百慮誤る 言志録21
心の奥底がつかえふさがっていると、すべての考えがことごとく誤ったものとなる。
妄想を断ち切る 言志録22
心の中に種々雑多な考えが、ごたごたと乱れ起こるのは、外界の事物が心を見出し濁すからである。それで、平素常に精神を剣のごとく鋭利にして、一切の外界の誘惑を取り除き、決して腹の中に寄り付けないようにしたならば、自然ときれいさっぱりした気持ちになることに気が付くであろう。
事を処するには 言志録23
自分はいま事柄を処置しようとするのでるが、先ず心の奥底に数本の釘を打って、よく考えてから仕事を始める。
筆跡は心の現われ 言志録24
人の心が邪であるか正しいか、また気が強いか弱いかということは、その人の書いた筆跡を見れば、一目瞭然で、これをおおい隠すことはできぬものである。また心の喜びや怒り、哀しみやおそれということ、および勤勉・怠惰・平静・騒然などに至るまでことごとくその人の書いた文字に現れるものである。それ故に一日の内、自分で五、六字を書いて、それを何度もくり返しよく観ることも、また自己を反省する一助ともなるであろう。