現代日本語百科   けふも  お元気ですか

gooブログはじめました!日本語百科です。
現代日本語百科 ⓒ2013gooksky

天地人

2013-08-01 | 日本語百科
あめつちにひとがいる、この想は在来のものではない。あめは天、つちは地、そしてそこに人がいる、素朴に、てん、ち、じん 天地人 について、世界を形成する要素であると宇宙空間に存在する万物とするか、ただに天を最上とし、地人の順となるようにするか。天神地祇また神祇ということを言えば、そこには人はない。天津神、国津神と、日本神話で神の分類をする。どうして天池人とするか。説明を求めて、孟子、公孫丑章句上、一節の 天時不如地利。地利不如人和 (天の時は地の利に如かず 地の利は人の和に如かず)に由来する慣用句の省略形として、フリー百科事典は曖昧さ回避に言う。天の時、地の利、人の和の意で戦略が成功する三条件を示すともされる、とも言う。辞書の例には、天と地と人。宇宙間の万物。三才。

*名語記〔1275〕四「天地人の三つにつかさどるを王といふと尺せり」

*太平記〔14C後〕三四・和田楠軍評定事「天地人の三徳三乍ら違(たが)ひ候はば」

*日葡辞書〔1603~04〕「サンサイ。Ten, chi, jin (テン、チ、ジン)」
というように見えるだけである。

そして易の思想にある、三才があり、陰陽である。

>易の思想
易は本来占筮の書で、これによって処世の道を決するのであるが、思想的には陰陽の変化をもって天地人三才の道を述べたもので、「説卦伝」に「聖人の易を作るや、まさにもって性命の理に順(したが)わんとす。ここをもって天の道を立つ、曰(いわ)く陰と陽と。地の道を立つ、曰く剛と柔と。人の道を立つ、曰く仁と義と。三才を兼ねてこれを両にす」とある。三才それぞれに陰陽の徳が含まれているのである。陰陽は相対立するものであり、自然界、人間界のすべての事象は、みなこの二者に配される。

>この陰陽は単に相対立するだけでなく無限に変化する。四季が循環するごとく、陰極まれば陽となり、陽極まれば陰となる。この無限の変化作用を説いて「一陰一陽、これを道という」と易では説く。こうした変易する実相も、その実、不易な道によってたつ。そして生成発展をしてやまない。陰陽の二元によって説かれる原理は、まことに易簡であるが、その哲理はきわめて深遠といわねばならない。

 日本大百科全書(ニッポニカ) 易  えき 

また、次の説明がある。

>古代の支配者の尊号の一つ。原則として最高統治者に対して用いられる。この種の尊号としては起源がもっとも古く、文献では夏(か)、殷(いん)、周(しゅう)3代の王朝君主がすでに王を称しているが、甲骨(こうこつ)文、金文で確認できるのは殷王以降である。後漢(ごかん)の許慎(きょしん)は、『説文(せつもん)』において、「一で三を貫く」という孔子の説、その三とは天地人の三者であるとする董仲舒(とうちゅうじょ)の説を引き、王字の意味を「天下の帰往(おもむ)くところなり」と解釈している。そのほか「土」を「一」(統一)にする意と解するものなど、王字の成り立ちと字義については諸説ある。しかしこれらは、統一権力者がすでに存在している秦(しん)・漢(かん)時代以後の状況を前提にした付会の説にすぎない。近年の甲骨文、金文の研究によれば、「大」を含む会意文字、または権威を象徴する斧鉞(ふえつ)の象形文字であると理解されている。周代の王号は、天子と並ぶ君主の称号であり、天子に比べて、より現実的な地上の実権者を意味し、もっぱら臣下に対して用いられた。周王の権威が衰えるにつれて、春秋時代の楚(そ)王、呉(ご)王、越(えつ)王などの覇者のように、列国の君主(諸侯)のなかでも王と称する者が出現し、この傾向は戦国期に著しくなり、「戦国の七雄」はいずれも王として各地に君臨した。秦帝国では、唯一絶対の君主である皇帝が誕生し、王号の使用はなくなったが、秦・漢交代期には各地の実力者が王を称し、一時戦国の風が復活した。漢帝国が成立すると、郡県制が手直しされ、一部王国が設置された。この王国を分封された者が諸侯王であり、王号は天子に次ぐ最高位の爵称として序列化された。

 同上 王  おう

ここにいたって、あめつち そして、 ひと は、古来の思想であって、果たしてそれはなんであったのか。
ふと和漢三才図会のあることを思い出したりしして、語の意義分類に現われた天地人がある。その淵源はまた――

>明の永楽帝は武力によって即位したが、文学を奨励した。彼は解縉(かいしん)(1369―1415)らに命じて大類書をつくらせ、『永楽大典(えいらくたいてん)』2万2877巻目録60巻が1409年に成った。一事項に全文を引用して、一大文庫を収める形式をとったものだが、清(しん)の乾隆(けんりゅう)帝時代にこのなかから『四庫全書(しこぜんしょ)』に十数部の逸書を収めた。しかし、この大著も散逸して世界に現存するものは800余巻にすぎない。明の有名な類書は万暦年間に集中している。馮〓(ひょうき)編『経済類編』100巻、徐元太(じょげんたい)編『喩林(ゆりん)』120巻、章〓(しょうおう)編『図書編』127巻、明末の董斯張(とうしちょう)編『広博物志』50巻、兪安期(ゆあんき)編『唐類函(とうるいかん)』200巻などである。なかで王圻(おうき)編『三才図会(さんさいずえ)』106巻は天地人あらゆる事項を14門に分類、各項を図説しており、現代の百科事典に近い。


『説文解字(せつもんかいじ)』(許慎(きょしん)編、121年)は「一、二、示」から「酋、戌、亥」までの540部
『玉篇(ぎょくへん)』(顧野王(こやおう)編、543年)は『説文解字』の12部を減らし14部を加えて542部
日本では、『新撰字鏡(しんせんじきょう)』(900年ごろ)は「天、日、月、肉、雨」のように天地人という意義分類による約160部
『類聚名義抄(るいじゅみょうぎしょう)』(平安末期ごろ)では「人、彳、〓」から「風、酉、雑」までの120部となっている。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。