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中秋

2014-09-08 | 日本語百科
中秋節は月見の日だ。
満月が美しい。

毎日雨と雲ばかりだったからなおさらかがやく。
中秋は秋の半ば、字のごとく、陰暦8月15日のこと、陽暦9月8日となって迎えた。

中国で中秋節と言えば、元旦、端午、仲秋と、三大節となっているようである。
元宵節と端午説と商取引の決済月とか。唐代以後に定着した習慣と見えるが、いまや、中秋節は月餅のお祝いである。




http://japanese.china.org.cn/japanese/28077.htm
http://japanese.china.org.cn/japanese/29609.htm

>月にかんするいろいろな美しい神話と伝説に由来する。なかでもいちばん有名なのは「嫦娥、月に奔る」で、人々の言い伝えによると、遠い昔、十の太陽がいちどきに空にあらわれ、何処もかしこも「日光は火にも似て、四海は沸きたち、山は崩れ地は裂け、草木は枯れ焦れた」という状態になってしまい、人々は隠れる場所がなくなった。この時、后羿が勇敢にも巧みな射術で、天に向かって弦をひき、ひと息に九つの太陽を射落とし、一つだけ残した。人々を災難から救った后羿は、大きな手柄をたてたため、皆から尊敬されるようになり、王にとりたてられた。けれども、皇帝になってからの后羿は酒色にひたり、任意に人を殺す暴君になってしまい、人々の恨みをかうようになった。后羿は自分でも身の危険を感じ、昆侖山の王母娘娘のところへいって、不死の薬をもらってきた。妻の嫦娥は彼がいつまでも死なないのを恐れ、人々の害を除くために、その薬を盗んで自分で飲んでしまった。すると、足元から風がわきあがって、身体が雲のように軽くなり、ひょうひょうと空に舞い上がっていった。もう夜はふけていて、一輪の明月が空にかかり、何とも言えぬほど美しい。嫦娥はつねづね月を愛していたので、こうなったら月の宮殿にいって暫く住もうと思った。とたんに風向きが強くなり、あっというまに月の宮殿に到着した。そこにはひとりの呉剛という老人がいた。呉剛は仙人だったが、誤ちを犯し、罰として月の宮殿で月桂樹を切らされていた。けれども、切った月桂樹はすぐさまあわさってしまい、永遠に切り倒すことができなかった……。



>世界大百科事典 第2版の解説
ちゅうしゅうせつ【中秋節 Zhōng qiū jié】

陰暦8月15日は秋の半ば(中秋)にあたり,中国では月を祭る日とされてきた。古くから観月の習慣はあるが,中秋のそれに固定化したのは唐代以後であり,中秋の名月こそ一年中で最も美しい月とされた。初めは高楼等に登って月を眺めながら酒食を楽しむにすぎなかったが,元・明時代,月を祭るようになったらしい。清代では,元旦・端午とともに三大節として重視され,商業取引の決済期でもあった。庭先に設けられた祭壇上には,太陰星君(月の神)やウサギなどを描いた紙製の月光馬児が立ち,その前に月餅(げつぺい)や果物,枝豆,鶏頭の花などを供えて月を祭った。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
中秋節
ちゅうしゅうせつ
zhong-qiu-jie

陰暦8月 15日に名月を賞する中国の習俗。月餅 (げっぺい) や瓜,果物を庭に並べて月に供え,枝豆や鶏頭花を捧げたりして楽しむ。商工業者の間では,端午節,歳暮と並ぶ三大取引決済期の一つであり,唐代以後広く民間に行われた。


世界大百科事典内の中秋節の言及
【中華人民共和国】より
…春節にくらべて,新年は,一年のけじめとしての行政的意味はともかく,暮しのうえで特別の重みはもたない。 中国の四大祭といえば,春節のほか,元宵節,端午節,中秋節をあげるのが普通だ。元宵節(上元)は,陰暦正月15日に行われる祭りで,灯籠に火を入れてこれを観賞するので,灯節とも呼ばれる。…
【年中行事】より
… 7月15日は道教・仏教共通の祭日であり,家では祖先を祭り,寺では迷える亡者を済度する盂蘭盆会としての性格が強い。8月15日は中(仲)秋節と呼ばれ,月見を楽しみ,後には月餅を食べ,〈月光馬児〉(月神の神像)などを飾った。1年の豊作を感謝する秋社も8月にあり,晩秋の9月9日は,高い所にのぼり,茱萸(しゆゆ)の枝を髪に挿し,菊酒を飲む重陽節である。…


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