大学は学問の府である、大学は教育と研究の最高学府である、と言われてきて、いまでもそれは変わらないのだろう。変わらないと信じたいのであるが、大学という語を漢語に求めその出自によって確かめるといまの大学はその語の意味に於いてもどうだろうかと考えることになる。ウニベルシタスが大学の源の一つであると1960年代の学生時代に知ることになって、いまだに組合大学の発想もあるのであるが、解説があるように、ウニベルシタス universitas は、全体、宇宙、世界、組合といった意味を持つラテン語、大学を意味する英語 University やドイツ語 Universität などの語源となった言葉であると思い、ラテン語の uni+versus で、一つに、向きを変えた、と言うのはよくわからないけれど、versusは一つの目的をもった共同体となるようで、全体・宇宙・世界または組合となった、とか言うが、時代が移って日本では、総合大学というふうな呼称になっている。
そこには次のような解説がある。ウイキペディアより。
>単科大学」「総合大学」はあくまで日本語での呼び方である。日本の単科大学は英語ではcollege(university以外)という名称を名乗ることが多いものの、英語では必ずしも、単科大学がcollege、総合大学がuniversityとなるわけではない点に注意を要する。
college (カレッジ)は、一定規模の教育組織を指し、大学の各学部、大学院をおく大学におかれる研究科群、大学の各キャンパス(校地)、学寮などを意味することがあり、必ずしも単科大学を指し示している語とはならない。また、university は、各々の部門が連携して学問が取り扱われているところを意味しており、単科大学であっても、大学院の課程が設けられていれば、部門間の連携があると考えてuniversity と呼称される例もある。具体例として、アメリカでは伝統的なリベラルアーツカレッジのように大学院を持たない場合にcollege、大学院を有する場合にuniversityと、大学院のあるなしで呼称が区別される場合もある。
そしてまた大学制度の設立の経緯による、法の根拠には、次がある。
>日本では、かつて学校教育法(昭和22年法律第26号)に設けられていた規定に基づいて、数個の学部を置く大学を「総合大学」と呼び、単に1個の学部をおく大学を「単科大学」と呼んでいた。
はてさて、これまた次のようなことである。
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大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的としている(学校教育法第83条)。換言すれば、大学教育の目的とは、広範にわたる知識の獲得と諸分野の専門的な教育研究を行うことで、拡大・深化した知見と柔軟な思考力を備えた知識人を育成することであるといえる。この目的に照らして、大学の内部は専門分野ごとに、学部や学科・課程などの教育研究組織に分かれている。教員と学生は、それら個々の教育研究組織に所属し、教育研究活動を行う。大学院重点化大学では、教員は、学部の専任教員ではなく、大学院の研究科の専任教員となる(学部については、兼務の一つとされる)。大学院の研究科に代えて、教員の所属(研究部)と学生の所属(教育部)を分けている大学もある(研究部・教育部制度参照)。また、大学院のみの大学、大学院大学も存在する。一方、短期大学は修業年限を2年または3年とする大学であり、その目的は、深く専門の学芸を教授研究し、職業又は実際生活に必要な能力を育成することである(学校教育法第108条)。
大学は文部科学省が所管するが、それ以外の省庁が所管する機関として省庁大学校がある。独立行政法人大学評価・学位授与機構が省庁大学校の課程を大学に相当するものと認めた場合、その課程を卒業すると同機構より学士の学位が与えられる(学校教育法第104条第4項2号)。
>世界大百科事典 第2版の解説
しょうがく【小学 Xiǎo xué】
中国,南宋の朱熹(子)が門人劉子澄らの協力を得て編んだ,少年のための修身作法の書。内・外の2篇に分けられ,内篇は〈立教〉〈明倫〉〈敬身〉〈稽古〉の4章,外篇は〈嘉言〉〈善行〉の2章より成る。《礼記(らいき)》などの古典から抜粋した日常の立居振舞に関する細則,聖賢の残した格言や逸話がその内容。《小学》においては具体的な事柄を教え,《大学》ではそれをもとにして抽象的な道理を教える,という朱熹の教育理念をうかがうことができる。
世界大百科事典内の小学の言及
【小学】より
…中国の学問の一分科の名であるが,この学問の分科がこのように名づけられたのは,別項の書名としての《小学》がそう名づけられたのと,そのもとづくところが同じである。それは,古代中国で経学つまり思想の学をまなぶ所が〈大学〉であるのに対し,そこに至るための途中の教育段階として〈小学〉がおかれたとされていることとかかわりがある。…