現代日本語百科   けふも  お元気ですか

gooブログはじめました!日本語百科です。
現代日本語百科 ⓒ2013gooksky

過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる

2014-09-21 | 日本語あれこれ百科
これは政治の言葉として、コラムにあった。
―過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる 

1985年5月8日の連邦議会における、リヒャルト・カール・フォン・ヴァイツゼッカー(Richard Karl Freiherr von Weizsäckerの演説の中の一節である。

しかし、過去に眼を閉ざす者は、未来に対してもやはり盲目となる、で知られる、とあって、過去と未来の対峙なのか。
現在に目を閉ざすものは未来に盲目でるのはその通りだろうから、過去に、現在に、未来に、いつが問題であるか。

ウイキペディアの解説は、   

>「過去についての構え」である罪と「未来についての構え」である責任とを区別し、個人によって罪が異なるとしても共同で責任を果たしていくことを呼びかけた[3]。この日はドイツ降伏40周年にあたり、ヴァイツゼッカーはこの記念日を「ナチスの暴力支配による非人間的システムからの解放の日」と形容した。 
 
 と述べる。

その記述は評価の解説で文言を変えている。



日経新聞20140922

政治とことば
過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる=ワイツゼッカー元西独大統領

 「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」。1985年5月、ドイツ敗戦40周年にあたり当時のワイツゼッカー西独大統領が演説した一節を又市征治・社民党幹事長は胸に刻む。労働組合で活動中の90年に訪独した際、メーデーに参加していたドイツの労組関係者から教えてもらった。

 ナチスのホロコーストという負の歴史を抱えるドイツの指導者が、戦後世代に過去の戦争責任を直視するよう求めたのだと思う。中曽根内閣と社会党が安保政策や憲法問題で対決していた時期と重なり「日本も過去の過ちに正面から向き合うべきだ」と政治家を志す。

 日本では戦後50年の95年に村山富市首相が過去の植民地支配と侵略を謝罪した「村山談話」を発表した。その後、ワイツゼッカー演説を村山氏に紹介すると「同じ考えだな」と答えたという。

 戦後70年を来年に控え、安倍晋三首相は集団的自衛権の行使容認を閣議決定し、憲法改正にも意欲を示す。社民党は衆参5人の小所帯だが、ワイツゼッカー演説と村山談話の精神を未来に引き継ぐことこそ自分の役割だと信じている。

(塚)

ウイキペディアより。
1985年5月8日の演説に対する評価
>1985年5月8日の連邦議会での演説の中の「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」(永井清彦訳)という有名な一節は、演説が行われた当初は特に注目されていなかった。この一節を日本で最初に見出しにしたのは、岩波書店の雑誌「世界」1985年11月号で、朝日新聞も同年11月3日にコラムで取り上げている。岩波書店はさらに、1986年2月に演説全文を掲載したブックレット、1991年には単行本を出版している。この頃からこの一節が有名になり、歴史認識で韓国が日本を批判するのにも使われるようになった。しかし、演説の3日前にコール首相とレーガン米大統領がナチス親衛隊も埋葬されているビットブルク墓地を訪れ、ワイツゼッカーもレーガンに謝意を述べている。また演説の中には謝罪に当たるものはなく、「民族全体に罪があるということはない」「当時に子供だったり生まれていない人達が自分が手を下していない行為に対して罪を告白する事はできない」などと述べている。伊奈久喜は、これは日本の政治家が語れば「妄言」と批判されるかもしれない内容であり、ワイツゼッカー演説は史実とは異なる「神話」になった、と述べている。


上記の記事は、次の新聞記事による編集があるようである。
引用に上げられていたので、たどると――

風見鶏
ワイツゼッカー演説の謎 特別編集委員 伊奈久喜
2014/8/24付

 「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」(永井清彦訳、以下同じ)

 1985年5月8日、ドイツの敗戦40周年にあたり、ワイツゼッカー西独大統領(当時)が連邦議会で演説した。そのなかの有名な一節である。

 安倍晋三首相は、来年8月15日に戦後70年にちなむ談話を発表する。首相周辺は「未来志向の内容にしたい」と語る。全体の内容にもよるが、未来に目を向ければ、ワイツゼッカー演説を引用して「過去に目を閉ざすな」とする批判が予想される。

 ワイツゼッカー演説とは何だったのか。日経テレコンで検索すると、朝日と日経で85年5月9日付にボン発の記事があった。演説の引用部分を紹介する。

 「大統領は『われわれすべてが過去を受け入れねばならない』として、ナチスに対するドイツ人の責任を説いた」(朝日)

 「『五月八日は人々をナチの暴虐から解放した日だ』と述べるとともに、ドイツの若い世代に『他の民族を憎んだり敵視したりせず、仲よく共存していくことを学んでほしい』と呼びかけた」(日経)

 あの一節はない。

 「過去に目を閉ざす者は現在に盲目となる」を日本のメディアで最初に見出しにしたのは、調べた限りでは、演説全文を掲載した岩波書店の雑誌「世界」85年11月号である。同年11月3日付朝日新聞のコラムもそれに触れている。

 岩波書店は、86年2月には演説全文を掲載したブックレットを出版した。新旧版を合わせ、これまでに21万部売れている。91年には訳者の永井氏による単行本「ヴァイツゼッカー演説の精神」も出版され、冒頭の文章にあの一節がある。

 あの一節が有名になるのはこのあたりからだろう。それは韓国の記者が歴史認識をめぐって日本を批判する際にも使われてきた。例えば朝鮮日報の金昌坤記者は、これを引用して「大統領の言葉は、初めから日本社会に空虚なこだまとして響いたのかもしれません」(96年8月23日付南日本新聞)と書いた。

 当時のボン特派員たちはなぜ書かなかったのか。

 旧版岩波ブックレットの表紙をめくった所にヒントがあった。コール西独首相がレーガン米大統領らとともに、ビットブルク墓地を訪れた写真である。

 ナチス親衛隊(SS)の戦死者も埋葬されているために当時、世界中から批判された墓参だが、ワイツゼッカーはレーガンに謝意を述べた。演説は墓参の3日後だ。それを知る特派員があの一節を引用しなかったのは不思議ではない。

 当時の状況は忘れられ、あの一節は残った。演説は過去への謝罪を説いた、と歴史に刻まれた。

 しかし思想史研究者でもある有馬龍夫元ドイツ大使は自らのオーラルヒストリーで「演説に謝罪あるいはそれに類する表現は見当たりません」と述べる。有馬氏は演説中の次の2点に注目する。

 「民族全体に罪がある、もしくは無罪である、というようなことはありません。罪といい無罪といい、集団的ではなく個人的なものであります」

 「今日の人口の大部分はあの当時子供だったか、まだ生まれてもいませんでした。この人たちは自分が手をくだしてはいない行為に対して自らの罪を告白することはできません」

 日本の政治家が語ったら「妄言」と批判されるかもしれぬ内容である。

 ワイツゼッカー演説は半ば「神話」になった。神話と史実とは違う。

(特別編集委員 伊奈久喜)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。