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国語文法論、日本語文章論16

2016-07-23 | 日本語文章
日本語文章論は文と文の関係構成をとらえる。文とは主語と述語とをもって構成される。ただ文に主語を必須要素とするものではない。述語についてそれだけで文を構成することができる。すなわち文は述語に対する主語を持ち、述語について言語の話し手による主体者の表現をとることがあるので、文の成立には文章を単位としたときに、主語を特定することがある。それはまた文の要素を見るときに文章においてそれを見ることがあることにもなる。いま、ここに示す直前の一文を取り上げると、主語述語の要素は、それは文章においてそれを見ることがある、という文に、ことにもなる、という言語話者の表現に対応する、文の要素を見るときに――ことがあることにもなる、という文で包摂されている話者による主語が一般に想定される。文の要素には述語にかかる格を表す助辞によって示される、が、を、に、と となる論理助辞に、で、へ、より、から、まで の文の述語に、手段、場所、位置、比較、起点、到達点の意味を表すものがある。

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日本語文法は形態文法をもって日本語の語基と接辞を分析し語の最小単位を音素レベルで明らかにした。仮名文字は音節レベルの便宜をもって国語文法で長く用いられていた。一方で、日本語に形態素を抽出したことは、言語分析に形態を明らかにして計算機械による分析など、多くの可能性を示し実現している。日本語文法形態論に語論を行い、文論を文章論へととらえることは、形態から統語への必然である。シンタクスは文法の視点で言語の現象の意味を問う。日本語文章論は文法論に日本語の文章にあらわされる意味を分析し明らかにする。文は思想をあらわすとした規定は、文章にこそ思想をあらわすとその規定を持つことになる。なぜなら、日本語の文は文章においてその意味の部分を担う要素であるからである。

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学校文法は語に文節をとらえた。いわく自立語と付属語が文節を構成し、その分節は語の単位であった。しかし文節はまた連文節を構成して、文節にさらに文の要素成文としての連文節を設定するものであった。連文節は句になり、さらには節になった。そん文節の単位に議論が展開しなかったのは文節の係り受けにこだわった議論が集中してきたからであり、それは主語か述語か、主部か述部かといった単位の取り方だけでなく、主語となる連文節、述語となる連文節に生産的な議論がおこらなかったためである。連体修飾節、連用修飾節は従属節として主節に対するが、連文節の機能には単位文の構造が援用されることがない。たとえば、次の節の解説は日本語で、どう読み取れるか。>節 clause とは、文を構成する、述語とその項からなるまとまりのことで、その中でも特に定形 finite のものだけを指す。>節は、文中での働きから名詞節、形容詞節、副詞節に分類される。また普通「節」と呼ぶ場合、従位接続詞に導かれた、従属節Dependent clauseのことを指すことが多いが、複文の中で、文の主たる要素を構成する節を主節Independent clauseと呼ぶことがある。

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国語文法論を国語と、日本語文章論を日本語とするのは、国語は文法論で議論があり、日本語は文章論で議論するのがよいとする立場である。国語も日本語もわたしたちにとってのひとつの言語であるから、国語文法論を含めて日本語文章論とすることもできる。日本語文法文章論としての議論であるが、文法論が文を扱い、文章論が文章を扱うならば、同じ文法であって文と文章を取り上げ、文と文とが関係構成する文章に、その範疇に議論をすることである。日本語文法単位体をもとにすれば、そのそれぞれの論には、形態論があり、語論があり、句論があり、節論があり、文論があり、段落論があり、文章論がある。この段落に文章を設定し文章論とすることで、さらに文章論に文章作品の単位をとることができる。文章の章について、この字義に、原義は、はっきりとしたあや、しるしという説明がある。

デジタル大辞泉
1 文字でつづった文。「玉章・詞章・断章・文章」
2 資格・身分などを示すしるし。「印章・記章・勲章・校章・褒章・帽章・喪章 (もしょう) ・紋章・腕章」
3 文や音楽の一区切り。「章句・章節/楽章・終章・序章」
4 箇条書きにした法令。「憲章・典章」

http://www.logicalskill.co.jp/jwriting/paragraph.html
パラグラフとは
パラグラフとは、ある一つのトピックについて述べた文の集まり(一つの文で構成されることもある)です。全く同じトピックについて二つ以上のパラグラフが割り当てられたり、逆に、一つのパラグラフの中に、二つ以上のトピックが述べられていることはありません。つまり、パラグラフが変わるということは、トピックが変わることを意味しますし、パラグラフが変わらないなら、トピックは同じままであることを意味します。

文章において見やすくまとめられた文の塊(ブロック)。通常は複数の文によって構成される。段落の始めは、行頭から数文字(日本語では1文字)の字下げをする。日本語の縦書きでは行頭が下がるので、「段落」という言葉が生まれた。パラグラフともいう。段落を表す記号として、段落記号(¶)がある。

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文が開かれた単位であり、文章が閉じられた単位であるとするのは、文法論の便宜である。言語の現象は常に、この喩えを用いるならば、開かれている、大海にたたえられた言葉である。そこにうちよせる波は風波ともあって、その波のラインは文のようである。波は続き、切れ、また続いては切れる。さて、その文が開かれているとするのは、言語に主体客体とを合一する現象を見るときに、その表現に見える主語述語を一体とするあらわし方と、主語述語を一体とするのを、体用の現象とみる表し方の違いにある。主語に文を統括する働きがあるのを、その述語との結びつきが述語と関係するほかの語よりも、主語が最優先であるとする捉え方に対して、体用の現象には必ずしも主語との結びつきをしめざず、いうところの目的語また客語との一体である。したがって、主語を結びつきに絶対とするのに、主語との結びつきに相対のひとつであると考え方であるから、閉じた体系となる主述語に、開かれた体系の体用の現象である。文が閉じた関係構成ならば、文章もまた閉じた関係構成であるので、日本語の文の閉じた関係を超えた特徴を見出そうとする

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文法論議は文法の分析対象とする言語の現象から単位を設定する。国語文法は文を設定した。のちに、語構成論、文章論をもってそれぞれの単位設定を行い、学校文法で単位に加えている。すなわち語、文、文章である。この単位に形態を勘案して形態素を設けて分析するのが現代日本語文法の学説である。学校教育文法に国語文法があり、ないいぽオン語教育文法に日本語文法がある。形態素を文法にとらえる文法の形態論は拠るべき学説によって、言語現象に文法単位を次のようにした。形態、語、句、節、文、文章である。形態はモーフ、morphである。形態素morphemeが文法の表れをとる形式である。

文法単位は関係し構成して形態が語となり、語が句となり、句が節となり、節が文となる。文法論は文の単位をさらに関係構成して段落となり、文章単位のものになる。その文章が関係構成する段落が、さらに段落であるままに文章として関係構成して言語統一体の文章作品となるとらえ方である。形態文法が統語文法へと文法を展開していくと、言語の現象が閉じられた体系として仮設される。国語文法論では文の構成をとらえることで最大文法単位としてきたが、それは、文法が品詞論と構文論で議論されていたからであるが、そこに文よりも大きい単位である文章単位を設けてきた経緯がある。しかし、国語文法論は、いわば、品詞論で語と文の構成を明らかにしてきた。文における職能である。したがって、文を最大単位とする文法は、日本語においては文章を最大単位とすることになり、文そのものは閉じられた体系ではなく、文章そのものが閉じた体系であるとするべきである。


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