狂言はわかりにくい語である。せりふ回しがわかりにくいのではない。狂言という語そのものである。狂字に意味内容があるからであろう。字通によれば、古くから理性と対立する逸脱の精神として理解された、清狂・風狂なども、日常性の否定に連なる一種の詩的狂気を示す語であった、と説明し、もともとに、 >おそらく出行にあたって行われる呪儀で、魂振りの意があり、神の力が与えられるのであろう。秘匿のところでその礼を行うことを匡といい、神意を以て邪悪を匡(ただ)すことを匡正という。その霊力が獣性のもので、誤って作用し、制御しがたいものとなることを狂という。
と見える。 伝統芸能として能狂言をどう見るか。合い狂言に対する本狂言はどうか。狂言を寸劇とするか、笑いのしぐさとして滑稽と見るか、洗練された芸にしばし考え込む。狂言という語を狂言綺語と使った白居居の願文の意にその語の表す文学を思い合せて、狂言はたわぶれであったと、思い続ける。
きょう‐げん【狂言】(デジタル大辞泉|見出し自体)
きょう‐げん 〔キヤウ‐〕 【狂言】
1 日本の古典芸能の一。猿楽のこっけいな物真似(ものまね)の要素が洗練されて、室町時代に成立したせりふ劇。同じ猿楽から生まれた能に対する。江戸時代には大蔵・和泉(いずみ)・鷺(さぎ)の三流があったが、鷺流は明治末期に廃絶した。本狂言と間(あい)狂言に大別される。能狂言。
2 歌舞伎。また、その出し物。歌舞伎狂言。
3 人をだますために仕組んだ作り事。「―強盗」
4 道理にはずれた言葉や動作。
「仏法を知らざる痴人(ちじん)の―なり」〈正法眼蔵・礼拝得髄〉
5 戯れの言葉。ざれごと。冗談。また、ふざけて、おもしろおかしく言うこと。
「正直にては良き馬はまうくまじかりけりと―して」〈盛衰記・三四〉
狂言(日本大百科全書(ニッポニカ)|見出し自体)
日本の古典芸能。主として科(しぐさ)と白(せりふ)によって表現される喜劇。室町初期以来、能と密接な関係を保ってきたので、能と狂言を一括して「能楽」とよぶ。 小林 責語義・名称「狂言」という語は古い漢語…
語義・名称
「狂言」という語は古い漢語で、常軌や道理に外れたことば、あるいは冗談、戯言(ざれごと)などの意味をもっていた。日本ではすでに『万葉集』に用いられ、「たわごと」と読まれている。平安時代には「狂言綺語(きご)」(事実でないことを修飾して言い表したことば、転じて小説などの文章)という熟語でも普及したが、以後しだいに滑稽(こっけい)と同義の普通名詞として使われることとなった。一方、これが舞台芸術の一種をさすようになるのは南北朝時代で、まず延年(えんねん)の諸芸のなかにこの名目がみえ、室町時代に入り、能と共演する滑稽な芸をよぶ語として定着した。江戸中期以後には「歌舞伎(かぶき)狂言」の語が一般化し、狂言は「芝居」の別称のように使われるようになったため、本来の狂言は「能狂言」とよばれることもあったが、第二次世界大戦後その価値が再評価されるとともに、名称も復権し、狂言といえば能楽の狂言を称するという認識が普遍的となった。
本狂言の内容の大きな特色は喜劇性と庶民性である。
平安時代の猿楽の笑いはかなり卑猥(ひわい)なものであったと思われるが、世阿弥は「笑(え)みのうちに楽しみを含む」ような笑い、すなわち上品でなごやかな滑稽味を狂言に要求した。さらに、その歴史を通じ、貴族的な能と同じ舞台で上演され、ことに江戸時代には武家式楽に定められ武士に直属することになったため、しだいに笑いを洗練し昇華させた。現在の狂言にみられる笑いの要素としては、中世芸能が存立の精神的支柱とした「祝言(しゅうげん)性」や下剋上(げこくじょう)の風潮を反映する「風刺性」も認められるが、多くの曲を支配しているのは「滑稽性」と称される、なんの目的ももたない、ともかく楽しい笑いである。室町時代は乱世であり、世相も不安定で殺伐としていたが、そういう時代であったからこそ、庶民は上昇のエネルギーを蓄積することができた。こうした社会意識を反映した室町民衆の現世謳歌(おうか)の笑いが、狂言の滑稽性だといってよい。笑いを含まない曲は、座頭(ざとう)狂言の『川上(かわかみ)』『清水(きよみず)座頭』『月見(つきみ)座頭』などほんの数曲にすぎないが、これらにはペーソス(哀愁)あるいは詩情を感じさせる秀作が多く、狂言の内包する質の幅を広げている。
と見える。 伝統芸能として能狂言をどう見るか。合い狂言に対する本狂言はどうか。狂言を寸劇とするか、笑いのしぐさとして滑稽と見るか、洗練された芸にしばし考え込む。狂言という語を狂言綺語と使った白居居の願文の意にその語の表す文学を思い合せて、狂言はたわぶれであったと、思い続ける。
きょう‐げん【狂言】(デジタル大辞泉|見出し自体)
きょう‐げん 〔キヤウ‐〕 【狂言】
1 日本の古典芸能の一。猿楽のこっけいな物真似(ものまね)の要素が洗練されて、室町時代に成立したせりふ劇。同じ猿楽から生まれた能に対する。江戸時代には大蔵・和泉(いずみ)・鷺(さぎ)の三流があったが、鷺流は明治末期に廃絶した。本狂言と間(あい)狂言に大別される。能狂言。
2 歌舞伎。また、その出し物。歌舞伎狂言。
3 人をだますために仕組んだ作り事。「―強盗」
4 道理にはずれた言葉や動作。
「仏法を知らざる痴人(ちじん)の―なり」〈正法眼蔵・礼拝得髄〉
5 戯れの言葉。ざれごと。冗談。また、ふざけて、おもしろおかしく言うこと。
「正直にては良き馬はまうくまじかりけりと―して」〈盛衰記・三四〉
狂言(日本大百科全書(ニッポニカ)|見出し自体)
日本の古典芸能。主として科(しぐさ)と白(せりふ)によって表現される喜劇。室町初期以来、能と密接な関係を保ってきたので、能と狂言を一括して「能楽」とよぶ。 小林 責語義・名称「狂言」という語は古い漢語…
語義・名称
「狂言」という語は古い漢語で、常軌や道理に外れたことば、あるいは冗談、戯言(ざれごと)などの意味をもっていた。日本ではすでに『万葉集』に用いられ、「たわごと」と読まれている。平安時代には「狂言綺語(きご)」(事実でないことを修飾して言い表したことば、転じて小説などの文章)という熟語でも普及したが、以後しだいに滑稽(こっけい)と同義の普通名詞として使われることとなった。一方、これが舞台芸術の一種をさすようになるのは南北朝時代で、まず延年(えんねん)の諸芸のなかにこの名目がみえ、室町時代に入り、能と共演する滑稽な芸をよぶ語として定着した。江戸中期以後には「歌舞伎(かぶき)狂言」の語が一般化し、狂言は「芝居」の別称のように使われるようになったため、本来の狂言は「能狂言」とよばれることもあったが、第二次世界大戦後その価値が再評価されるとともに、名称も復権し、狂言といえば能楽の狂言を称するという認識が普遍的となった。
本狂言の内容の大きな特色は喜劇性と庶民性である。
平安時代の猿楽の笑いはかなり卑猥(ひわい)なものであったと思われるが、世阿弥は「笑(え)みのうちに楽しみを含む」ような笑い、すなわち上品でなごやかな滑稽味を狂言に要求した。さらに、その歴史を通じ、貴族的な能と同じ舞台で上演され、ことに江戸時代には武家式楽に定められ武士に直属することになったため、しだいに笑いを洗練し昇華させた。現在の狂言にみられる笑いの要素としては、中世芸能が存立の精神的支柱とした「祝言(しゅうげん)性」や下剋上(げこくじょう)の風潮を反映する「風刺性」も認められるが、多くの曲を支配しているのは「滑稽性」と称される、なんの目的ももたない、ともかく楽しい笑いである。室町時代は乱世であり、世相も不安定で殺伐としていたが、そういう時代であったからこそ、庶民は上昇のエネルギーを蓄積することができた。こうした社会意識を反映した室町民衆の現世謳歌(おうか)の笑いが、狂言の滑稽性だといってよい。笑いを含まない曲は、座頭(ざとう)狂言の『川上(かわかみ)』『清水(きよみず)座頭』『月見(つきみ)座頭』などほんの数曲にすぎないが、これらにはペーソス(哀愁)あるいは詩情を感じさせる秀作が多く、狂言の内包する質の幅を広げている。