語について、文法の分析に語より下位の単位を説明するものがある。文法論を形態論と統語論にわけて2大別とする。形態と統語に分けるのは言語に意味をとらえて、語には意味があると前提にした議論である。語に意味があるのか、ないのかを議論するのは、近代言語学があらたにした言語記号の考え方である。言語記号は音の形式をまとまりとしてとらえた。
したがって語が既に語としてあるという考え方と、語は音形式のまとまりとして現わすシンボル、その象徴であるとする見方は、象徴記号として言語を考えるので、その内容を音象徴について議論するようになった。語が音の形式に捉えなおされて、その内容となるべく語についての意味を議論した。言語記号がそれまでにただに語としていたものを考え直したことになる。
そこに見られる言語学の議論は言語記号の恣意性に現われた。言語の意味について歴史変遷をその語に捉えようとしていた言語分析を一変した。あるいは言語の二重分節の考え方は、いわば語を音韻の単位に分析する。1次分節は形態素に、2次分節は音素になる。この第1次分節を言語の意味の最小単位とした。言語分析に形態素と音素の考え方が現れる。
日本語の分析は国語をベースにして語をとらえてきた。それは文法に語を品詞にして単語を明らかにしてきた。だからこの形態をとらえた分析はさらに言語学の考え方を反映させたものとして語のレベル以下の単位をとらえることを、その考え方をはっきりと説明する必要がある。それまでに語より下位のものを接頭語、接尾語、また、助詞、助動詞などとしたからである。
すぐに気付くように、国語は接頭語、接尾語の用語にも、また助詞、助動詞の用語に見ても品詞での単位として付属語という、語のレベルのままに扱う考え方をしてきているので、語のレベルのままに理解することが多く行われてきた。語と形態素は考え方の異なるものであるから伝統的な文法に言語分析のレベルをあてはめていることを知る必要がある。
したがって語が既に語としてあるという考え方と、語は音形式のまとまりとして現わすシンボル、その象徴であるとする見方は、象徴記号として言語を考えるので、その内容を音象徴について議論するようになった。語が音の形式に捉えなおされて、その内容となるべく語についての意味を議論した。言語記号がそれまでにただに語としていたものを考え直したことになる。
そこに見られる言語学の議論は言語記号の恣意性に現われた。言語の意味について歴史変遷をその語に捉えようとしていた言語分析を一変した。あるいは言語の二重分節の考え方は、いわば語を音韻の単位に分析する。1次分節は形態素に、2次分節は音素になる。この第1次分節を言語の意味の最小単位とした。言語分析に形態素と音素の考え方が現れる。
日本語の分析は国語をベースにして語をとらえてきた。それは文法に語を品詞にして単語を明らかにしてきた。だからこの形態をとらえた分析はさらに言語学の考え方を反映させたものとして語のレベル以下の単位をとらえることを、その考え方をはっきりと説明する必要がある。それまでに語より下位のものを接頭語、接尾語、また、助詞、助動詞などとしたからである。
すぐに気付くように、国語は接頭語、接尾語の用語にも、また助詞、助動詞の用語に見ても品詞での単位として付属語という、語のレベルのままに扱う考え方をしてきているので、語のレベルのままに理解することが多く行われてきた。語と形態素は考え方の異なるものであるから伝統的な文法に言語分析のレベルをあてはめていることを知る必要がある。