現代日本語百科   けふも  お元気ですか

gooブログはじめました!日本語百科です。
現代日本語百科 ⓒ2013gooksky

耋録である、耄碌でない

2017-08-02 | 本を読みます
言志四録(4) 言志耋録 (講談社学術文庫) (文庫) 著者: 佐藤 一斎, 川上 正光  てつろく、と読む。耋字の意味するところ、80歳である。高齢の90歳をも指し示すが、言志耋録の著者には、はしがきで、80歳になったことを言う。嘉永四年、1851年、夏五月、一斎老人自題と見える。はしがきに、一息でもあるからには学問をやめるべきではない、一息の存する、学廃すべきにあらず、とあり、単記して一篇となしたものを、名付けた耋録である。340編を飾る掉尾には、臨終の心得が示されている。生年月日、1772年11月14日、死亡、1859年10月19日。

ウイキペディアより
>儒学の大成者として公に認められ、天保12年(1841年)に述斎が没したため、昌平黌の儒官(総長)を命じられ、広く崇められた。当然、朱子学が専門だが、その広い見識は陽明学まで及び、学問仲間から尊敬をこめて『陽朱陰王』と呼ばれた。門下生は3,000人

>また、一斎は常に時計を持ち、時間厳守を第一とする厳格な性格の持ち主であった。だが「蛮社の獄」では、無実の罪で窮地に落ちいった渡辺崋山を擁護する毅然とした対応を取らなかったので、後々(特に明治以降)「言行不一致」と批判される事となった。
安政元年(1854年)の、日米和親条約の締結交渉では、大学頭・林復斎(述斎の六男)を補佐している。安政6年9月24日(1859年10月19日)、88歳で死去。





『言志四録(一)言志録』川上正光全訳注、講談社〈講談社学術文庫274〉、1979年1月、ISBN 4-06-158274-7
『言志四録(二)言志後録』川上正光全訳注、講談社〈講談社学術文庫275〉、1979年3月、ISBN 4-06-158275-5
『言志四録(三)言志晩録』川上正光全訳注、講談社〈講談社学術文庫276〉、1980年1月、ISBN 4-06-158276-3
『言志四録(四)言志耋録』川上正光全訳注、講談社〈講談社学術文庫277〉、1981年12月、ISBN 4-06-158277-1


http://blog.goo.ne.jp/gooksky/e/0aaa61d5f2265bedc4a7ce6a3004f5ea

言志耋録
2017-06-18 11:31:30 | 本を読みます


言志耋録
序に、齢八袠に上る、とある。八十歳になったという。耋は老いる、これはまた、九十歳を表わすと、註にある。佐藤 一斎、80歳から2年の作。

序文に次いで、学問の道、心・躬・言の三教、経書はわが心なり、経書と註釈、周子の書は宋学の大本、宋学の淵源に立ち返れ、朱子礼賛と続き、四書を四季に配す、天地は人を成す、と説く。
良知は天道、良能は地道、これはまた、天地は万物の父母 荘子 達成編 である。
その次に見る、仮有に執着するな を引用する。

>無能の知は是れ瞑想にして、無知の能は是れ妄動なり。学者宜しく仮景を認めて、以て真景と做すなかるべし。

実行する能力が無くして、ただ知っているだけでなら、それは空想であり、妄想である。智慧―判断力―が無くて行うのは、妄動―分別な行動すること―である。学問に志す者は、仮りの姿を見て実際のものと思ってはいけない。   全訳注 久須本文雄による


説文解字、本字は耊で、説文、巻八に、年八十を耊と曰ふ、とある。
玉篇、広韻など、耋を本字としている。

耄耋 ボウテツ

耋老
词语耋老 http://cidian.911cha.com/
拼音dié lǎo 注音ㄉㄧㄝˊ ㄌㄠˇ
引证解释http://cidian.911cha.com/
1. 年老。《左传·僖公九年》:“以伯舅耋老,加劳,赐一级,无下拜。” 杜预 注:“七十曰耋。


八袠
词语八袠 http://cidian.911cha.com/
拼音bā zhì 注音ㄅㄚ ㄓˋ
引证解释见“ 八秩 ”。


八秩
词语八秩 http://cidian.911cha.com/
拼音bā zhì 注音ㄅㄚ ㄓˋ
引证解释亦作“ 八帙 ”。亦作“八袟”。八十岁。《礼记·王制》:“七十不俟朝,八十月告存,九十日有秩。”本指古代帝王对老人的优待,后因称八十岁为八秩,九十岁为九秩。 唐 白居易 《喜老自嘲》诗:“行开第八秩,可谓尽天年。” 宋 陆游 《致仕后即事》诗之十二:“八帙开来今过半,一杯引满若为辞。” 宋 龚颐正 《芥隐笔记·八十为八秩》:“《礼》年八十日有秩,故以八十为八秩。又道家流用此语, 白乐天 屡用之。自注:‘行开第八秩,可谓尽天年。’时俗谓七十以上为开第八秩。”《警世通言·苏知县罗衫再合》:“臣祖母年踰八袠,独居故里,未知存亡。”



言志録  全246条。佐藤一斎42歳(1813年)から53歳(1824年)までに執筆されたもの
言志後録 全255条。佐藤一斎57歳(1828年)から67歳(1838年)までに執筆されたもの
言志晩録 全292条。佐藤一斎67歳(1838年)から78歳(1849年)までに執筆されたもの
言志耋録 全340条。佐藤一斎80歳(1851年)から82歳(1853年)までに執筆されたもの

佐藤 一斎 安永元年10月20日(1772年11月14日)- 安政6年9月24日(1859年10月19日)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。