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格のとらえかた

2023-09-28 | 日本語文法論議23





日本語文法論議23928    
      
文法範疇という。範疇は難しい訳語となった。カテゴリーとカタカナで用いることがある。もとは哲学の用語としての難しさにあったが、それをさらにというと、どうなのかと思ってしまうところ、英語学習で知る用語になる。もちろん洋語とひとくくりに言うのも文法範疇があるわけでその影響は時代をさかのぼって日本語にはない文法上の分類の原理を学ぶことであった。

ここで次を引用する。いつも簡潔な捉え方を示唆してくださるので、わかりよくてその記述を使わせていただくことになる。

>英文法では文法範疇 (grammatical category) ということが言われるが,例えば数 (number) ,人称 (person) ,時制 (tense) ,法 (mode) などが挙げられる.これらは動詞を中心とする形態的屈折にかかわる範疇だが,性 (gender or sex) など語彙的なものもあるし,定・不定 (definiteness) や相 (aspect) などの統語的なものもある.これらの範疇は英文法の根本にある原理であり,文法記述に欠かせない概念ととらえることができる.
 http://user.keio.ac.jp/~rhotta/hellog/2013-04-15-1.html
hellog~英語史ブログ #1449. 言語における「範疇」
 [category][number][gender][tense][aspect][person][mode][terminology][sapir-whorf_hypothesis][linguistic_relativism]

説明を読むと文法範疇の考え方そのものを議論しているなかから、原典引用の紹介があってありがたい。的確なものなものであると信じるに足るのはいつも思い当たるからである。前回に引用注のようなことをしてそれを合点する。ここでは、 Bloomfield, Leonard. Language. 1933. Chicago and London: U of Chicago P, 1984. から、次のようである。

>Large form-classes which completely subdivide either the whole lexicon or some important form-class into form-classes of approximately equal size, are called categories. (270)

ここに言及するのは、考え方によれば、男性と女性の大分類が文法性 、gender であると、 form-classes を説明している。まさに、指摘される通り、category の言語学的用法が哲学的用法に接近して言語的範疇がものの見方や思考様式の問題と直結しやすいからである、と言う。

>The categories of a language, especially those which affect morphology (book : books, he : she), are so pervasive that anyone who reflects upon his language at all, is sure to notice them. In the ordinary case, this person, knowing only his native language, or perhaps some others closely akin to it, may mistake his categories for universal forms of speech, or of "human thought," or of the universe itself. This is why a good deal of what passes for "logic" or "metaphysics" is merely an incompetent restating of the chief categories of the philosopher's language. A task for linguists of the future will be to compare the categories of different languages and see what features are universal or at least widespread. (270)
グーグル翻訳ーー言語のカテゴリー、特に形態に影響を与えるカテゴリー (本: 本、彼: 彼女) は非常に広範囲に浸透しているため、言語について少しでも考察する人なら誰でも必ずそれに気づくでしょう。 通常の場合、この人は、自分の母国語、またはおそらくそれによく似た他の言語しか知らないため、自分のカテゴリーを普遍的な言語形式、または「人間の思考」、または宇宙自体のカテゴリーと誤解する可能性があります。 これが、「論理学」や「形而上学」として通用するものの多くが、哲学者の言語の主なカテゴリーを無能に言い換えただけである理由である。 将来の言語学者の課題は、さまざまな言語のカテゴリーを比較し、どのような特徴が普遍的であるか、少なくとも広く普及しているかを確認することになるでしょう。 (翻訳引用の注、ここは、book : books 本: 本 単数と複数の別、漢字では表されない)

Bloomfield, Leonard. Languageを翻訳で読んで、上記指摘の個所を思い出せるかというようなことも、言い回しで気づかないので、宮地学説の形態論を理解するのに読んだのは懐かしい、ちょっと探してみるとよいのだが。

格の文法を展開するのは言語学者の議論であるから、形態論で有効な分類がどの言語現象のどういう部分であるかと、言語系統をさかのぼってみれば似たようなことがあって、それをもって言語現象の分類にする手続きになる。その議論をラテン議に見る屈折と日本語の格助詞を対照してみて日本語を学ぶようなことをするわけではないので、当然のことにラテン語を知るのだから、その手順を取り違えないことである、それが哲学者の言語の主なカテゴリーを無能に言い換えただけにならなければよいと、こういう考え方で知れば、格が何であるかを学ぶことができる。

翻訳文法と称することと、解釈をするということと、どちらの是非をいうかと、その議論に汲汲とするのは、本質を見誤る。英語教師が、日本語に主語がないのだって!主語を見つけなさいとばかり、教えてきたのだからそれはそれでやくだつことであったのを、ついには国語の主語を抹殺する論議などと言うもおそがい、疎外されるようなことを日本語に充てようとする。

文は主語が必須要素であるから文には主語が必ずなければならないのは、その言語の作文の要点であって、それを以て日本語の、主語の省略などと言うのはおかしいと気づくべきであって、国語の文は主語成分をあらわすとよい、文の成分は必須を言うものではないから主語をどう表現するか、というような説明でしかるべきである。
















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