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時代閉塞

2017-06-03 | ほんとうのところは
明治43年、1910年の評論、副題に、強権、純粋自然主義の最後および明日の考察 とある、この時代閉塞の現状 を、閉塞する時代としてどう理解するか、この文章を読むたびに思って来たが、文学の主義主張として、わかりづらい論であったから、またこの時に読み直してみる。あらためて、魚住折蘆の論と石川啄木の論とをみて、夭逝した啄木の才を思う。と、見たら、魚住折蘆の没年が1910年で享年28、これまた夭折、その二人の論争である。




時代閉塞の現状 ジダイヘイソクノゲンジョウ
デジタル大辞泉の解説じだいへいそくのげんじょう〔ジダイヘイソクのゲンジヤウ〕【時代閉塞の現状】
石川啄木の評論。副題は「強権、純粋自然主義の最後および明日の考察」。明治43年(1910)、同年発表された魚住折蘆(うおずみせつろ)の「自己主張の思想としての自然主義」への反論として執筆、社会主義への関心を綴る。朝日新聞のために書かれたものだが当時は掲載されず、著者の没後に発表された。


石川啄木(1886-1912)
1910年、24歳 時代閉塞の現状
大逆事件、明治天皇の暗殺企図のかどで、幸徳秋水らが秘密裡に処刑された事件の直後

時代閉塞の現状
(強権、純粋自然主義の最後および明日の考察)
石川啄木
>――そうしてこれはじつに「時代閉塞」の結果なのである。
見よ、我々は今どこに我々の進むべき路を見いだしうるか。ここに一人の青年があって教育家たらむとしているとする。彼は教育とは、時代がそのいっさいの所有を提供して次の時代のためにする犠牲だということを知っている。しかも今日においては教育はただその「今日」に必要なる人物を養成するゆえんにすぎない。そうして彼が教育家としてなしうる仕事は、リーダーの一から五までを一生繰返すか、あるいはその他の学科のどれもごく初歩のところを毎日毎日死ぬまで講義するだけの事である。もしそれ以外の事をなさむとすれば、彼はもう教育界にいることができないのである。また一人の青年があって何らか重要なる発明をなさむとしているとする。しかも今日においては、いっさいの発明はじつにいっさいの労力とともにまったく無価値である――資本という不思議な勢力の援助を得ないかぎりは。

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