青木保氏の著作がどういう経緯で語られたかを知るのは興味深いことである。日本文化の変容を日本人論のありようを見て、日本文化としたところにその動機がありそうである。さらにその探求範囲はいわゆる学術論文だけではない評論雑誌にも及ぶことをあえて行って広くその議論を作り上げている。アイデンティティを明らかにするためは日本人、日本民族の反省を視点にしたのは首肯されるところである。
特殊性は家族国家観、相対性は特殊論に対する文明優位論、そして特殊性が普遍性に至る日本文化の規定である。菊と刀が象徴するものはタテ社会の捉え方、恥の文化、甘えの構造を見て、日本らしさを見ようとする。日本型経営といわれた集団と序列は肯定的ですらある。その意思決定にはまるで経済大国への歩みがあったかのようであった。バブル経済へと突入する手前で、この議論の時期となる。
特殊性は家族国家観、相対性は特殊論に対する文明優位論、そして特殊性が普遍性に至る日本文化の規定である。菊と刀が象徴するものはタテ社会の捉え方、恥の文化、甘えの構造を見て、日本らしさを見ようとする。日本型経営といわれた集団と序列は肯定的ですらある。その意思決定にはまるで経済大国への歩みがあったかのようであった。バブル経済へと突入する手前で、この議論の時期となる。