憲法を改正する動きは、いまのところ、スケジュールにない。現憲法を平和憲法のままに不戦を憲法とすることは国民の一致するところであるから、憲法改正の議論が好戦になるようなことはあり得ない。しかしこの時代に近隣諸国の情勢が交戦を迎えかねない状況になってきたのであるから、それをとどめる方策があるかないかを考えねばならないのも事実である。不戦の誓いにあった日本の防衛は国が武器を持って戦うことをしないという、きわめて偏ったもので、そのままに平和を唱えることで憲法の精神を哲学にまでしてしまった文人思想家がいた。それを思うと自らの手をもって国を守ることを直視しなかったのであるから、はたして、武器をもって国を守らなければならないという、その状況が周辺に及ばないときには国力の全体で、自衛のままに過ぎたのがおよそ半世紀になる。安保体制に反対をし続けた国民は、そうしてもなお国が外国軍によって守られているということを知っていたのであるから、安保法制に反対を述べることは自力防衛の方策を議論しなければ、変わらず矛盾のままに日本を置いていることになって、それではだれが国を守るというのか、守りうる思想を持ち合わせているのかと、真剣に思わなければ、ミサイルの着弾で起こる事態に対応する、自らには術がないのである。
憲法を改正する動きは、いまのところ、スケジュールにない。現憲法を平和憲法のままに不戦を憲法とすることは国民の一致するところであるから、憲法改正の議論が好戦になるようなことはあり得ない。しかしこの時代に近隣諸国の情勢が交戦を迎えかねない状況になってきたのであるから、それをとどめる方策があるかないかを考えねばならないのも事実である。不戦の誓いにあった日本の防衛は国が武器を持って戦うことをしないという、きわめて偏ったもので、そのままに平和を唱えることで憲法の精神を哲学にまでしてしまった文人思想家がいた。それを思うと自らの手をもって国を守ることを直視しなかったのであるから、はたして、武器をもって国を守らなければならないという、その状況が周辺に及ばないときには国力の全体で、自衛のままに過ぎたのがおよそ半世紀になる。安保体制に反対をし続けた国民は、そうしてもなお国が外国軍によって守られているということを知っていたのであるから、安保法制に反対を述べることは自力防衛の方策を議論しなければ、変わらず矛盾のままに日本を置いていることになって、それではだれが国を守るというのか、守りうる思想を持ち合わせているのかと、真剣に思わなければ、ミサイルの着弾で起こる事態に対応する、自らには術がないのである。