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兵士である被害者が戦争で加害者となる

2015-08-11 | ほんとうのところは
戦争の被害者がまた加害者となる。
その現実をどう認めるか。

ベトナムに平和を市民連合、べ平連はそんなふうに問うた。
いまから50年も前のことだ、と思っていた。

そのときに10代のわたしには衝撃であった。
現実は変わらない。

攻撃基地があっただけでないような、軍需産業はないとおもっていたのだけれど、そのはずはなく、武器の部品を提供する工業製品はいくらもあったのだろう。

それが世にいう、秘密保護法のはしりである協定のもとにあった。
朝日ジャーナルを読んでいてまさかと信じられない記事がいくつもあった。

いまに思えば、毒入りのチョコレートを製造するなどというのは比喩的な記事内容の表現だったのだろう。
それは戦後10年を経ての、処を替えた戦争の場所であった。

米国が戦争を始めたのであって、その戦争の発信、発進基地は日本国内であったのであるから、おおいなるくいちがいが起こっていたのである。

それを知るものは、知ってしまったものは、日本が平和国家であるなどと、爾来、言えなくなったはずである。

そのべ平和連が時を経て朝日新聞の文化文芸記事でとりあげる。面の扱いにも奇妙さを覚える。



(今こそ小田実)ベ平連、日本の加害者性問う
2015年8月10日05時00分

 「殺すな」と訴える反戦運動が日本にあった。先頭には、焼け跡から来た男がいた。

 1967年、米紙ワシントン・ポストに「殺すな」という日本語の文字が躍った。

 ベトナム戦争に抗議する日本の反戦団体「ベ平連」(ベトナムに平和を!市民連合)が出した意見広告だった。

 米軍がベトナムへの空爆を始めた65年、ベ平連は結成された。代表に就いたのは32歳の作家・小田実だった。

 小田にとって「殺すな」は生身の実感からつかんだ原理だった。20年前の1945年8月、米軍は大阪で大規模な空爆を行った。その地表に、13歳だった小田がいた。

 住民たちは逃げまどいながら黒こげになって死んでいった。武器もなく「ただ『殺すな』と必死に叫ぶよりほかにない」人々の死だった。

 ベ平連で小田は一つの発見をした。米国の戦争に日本が「加担」しているという事実だった。ベトナム攻撃に向かう米軍機は、日米安保条約に基づいて日本が提供する基地を利用していた。小田は「私たちの加害者性」を問うた。

 ジャーナリストの佐々木俊尚さんは2012年の著書「『当事者』の時代」で、小田の発見は戦後思想の「パラダイム・シフト」につながったと評価した。「自らを戦争の被害者と規定しがちだった日本社会が加害者性に向き合う契機となった」と話す。

 兵士は被害者か加害者か。小田はそれを検討した。徴兵されて戦場に送られる面では国策の被害者だが、外国人を殺す場面では加害者だ。ただし兵士は「被害者でありながら加害者であった」のではない、と小田は結論した。「被害者であることによって加害者になっていた」のだと。

 国家に服従させられることで人は「殺す」立場に置かれる。小田は「市民の不服従が大事だ」と訴えた。「加害者性を自覚しつつ『殺すな』と叫ぶ重層性が人を引きつけた」と佐々木さんは語る。

 小田の精力的な反戦運動を支えたものは何か。著書「1968」などで知られる歴史社会学者の小熊英二さんは次のように話す。「ビルが立ち並ぶ景色も、ひと皮むけば焼け跡が現れるかもしれない。そんな意識だろう」

 戦争体験を基盤にしたその意識は、高度成長以降の日本ではもはや共有されにくいものになった、と小熊さんは見る。だが、異なる基盤から似た意識がいま生まれつつあるかもしれない、とも言う。

 「安保法案に反対して国会前デモに集まっている若者たちは、不安定な経済情勢の中で育ち、『今の日常は非常に不安定で、壊れてしまうかもしれない』という不安感を抱いた世代だからです」

 「殺すな」は批判もされた。「ベトナム兵の殺人は良いのか」「人道的介入も否定するのか」……。小田は「私の『殺すな』は、さまざまな現実と原理の挑戦を受けてボロボロに」なってきたと回想した。だが、「殺せ」に抗する市民が国際的に連帯するという目標は下ろさなかった。

 亡くなる5年前に出された著書は、次の言葉で締めくくられている。「では、きみ、あなた、諸君、自分で考えてくれたまえ」(編集委員・塩倉裕)

 <足あと> おだ・まこと 1932年、大阪生まれ。51年、小説「明後日の手記」。61年の世界旅行記「何でも見てやろう」がヒット作に。65年、ベトナム戦争に反対する「ベ平連」が始動、代表を務める。ベトナム戦争を拒否して脱走した米兵たちを支援する運動も支えた。95年の阪神大震災を兵庫県で体験、被災者に公的援助を求める運動を開始。07年、75歳で死去した。

 <もっと学ぶ> 「『難死』の思想」(岩波現代文庫)は、著名な表題論考に加えて「平和の倫理と論理」「『殺すな』から」などの評論を収める。「われわれの小田実」(藤原書店)には、ベ平連関係者など生前にゆかりのあった70人余りが小田実評などを寄せている。

 <かく語りき> 「ひとりでもやる、ひとりでもやめる」(市民の行動のあり方について各所で述べた。2000年刊の書名にも)

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