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しどけない

2014-09-15 | 日本語百科
高貴なしどけなさを、すすめるエッセイがあって、高貴と、しどけないと、そして高貴なしどけなさ、この意味は成り立つかなと思った。
古典語では、しどけなし、としては、姫、幼子に用いられている。

着崩れた様子をともなう。それが女性に見える語例となるのは、やはりちょっとスキがある様子なのである。
しまりのないようなことだ。

類語辞典は、だらしない(格好)、あられもない、寝乱れた(姿)、(肌が)あらわ、(素肌が)むき出し、半裸の、セミヌードの、とある。これは、驚き、非難などの意味を含むしどけない、というようだ。

それをさらに、悩ましい、なまめかしい、妖しい(誘惑)、無防備な(寝姿)、色っぽい、セクシーな、刺激的な、官能的な、というように、魅力、性的意味合いなどからのしどけない、と、意義素を挙げる。 
しどけないの類義語・同義語 - 類語玉手箱 ruigo-tamatebako.jp/find/word/しどけない 

さてこうなると、その用例からは、あるイメージのもとに意味が膨らんでいるようである。
もとの用法があるか、しど 為途 という語にある、やりようのこと、それから、しどない、となるのは、締まりがなく、だらしない、しどけない、となる。
この用例には、「彼は―・くベッドの上に起直りけるが」〈紅葉・金色夜叉〉、と男性の例を挙げている。デジタル大辞泉。




日本国語大辞典
>規律がなく雑然としている。いいかげんでしまりがない。とりとめない。だらしない。きちんとしていない。無秩序である。無造作である。しどない。
(服装や髪などがとりつくろわないため適当に乱れている様子を、むしろ美的なものとして好意をもっていう語)うちとけた親しみがある。ゆるび乱れた美しさがある。しどない。
おさなく、しっかりしていない。なよなよとして、頼りない。考えがゆきとどかない。しどない。


デジタル大辞泉
しど
《「為途」の意か》方法。やりよう。また、行動する上でのきまり。「しどを失う」「しどがない」「しどもなし」などの形で用いられる。→しどない


現代語の用例

姫君のほつれ毛の繊細なしどけなさ
ドレスは 甘美なしどけなさ誘いの 火と燃えてまといし 肩の薄絹のもの狂おしい たたずまい
直衣(のうし)も袴もその辺に投げ捨てられて、単(ひとえ)だけで床の上に転がっているしどけなさである
>たった一日半の仕事でローマに行ってきた。三時間ばかりの自由時間に下町を歩き、美術館のカフェで軽めの昼食をとった。


エッセイ

空を向いて、イタリアらしいまぶしいばかりの日射しを久しぶりに顔いっぱいに浴びるはずが、ふと、ひとりの男に目を奪われてしまった。顔にではない。支配人のくせに仕事は店員にまかせ、壁にもたれたり、外の風景をぼんやり見つめたり、下を歩いているらしい顔見知りに手を振ったり・・・・・・。きざなのである。が、優美なのである。そのぶらぶら歩き、しどけなさが。
何もしないことになれていると言おうか、手持ちぶさたのときのスタイルが決まっている。からだを何かにもたれさせたら、かならずその反対側に頸を曲げ、すこし遠いところに視線を泳がす。ポケットに両手を突っ込んで、仁王立ちになって正面の一点を見つめる。しばらくしてこんどはからだをゆるめ、庭石に眼をやりながら右直角にゆっくり移動する。・・・彼はなにもしないその姿が美しいのである。憎いくらいに。ひとつ間違ったら、苦笑いものになるくらい、ぎりぎりのところでさまになっているのである。
(「高貴なまでのしどけなさ」 鷲田清一)


天声人語
2014年9月15日(月)付

 しどけない、という言葉を耳にすることは最近あまりない。服装や姿勢がだらしないさまをいう。逆に、無造作にくつろいだ様子が魅力的にみえるという使い方もある

 哲学者の鷲田清一(わしだきよかず)さんが『老いの空白』で、〈高貴なまでのしどけなさ〉と書いている。ローマの美術館のカフェでの光景だ。店の支配人は仕事を店員に任せ、ぼんやり外を見たり、壁にもたれたり、ぶらぶら歩きをしたり。その姿が実に優美だ、と  
 
 支配人は何もしないことに慣れている。手持ちぶさたを紛らせようとはしない。お座りをしてじっと庭を眺める犬のような、妙な高貴さが漂う。他人の思惑などは眼中になく、ひとり超然とたたずんでいる

 この〈見事なまでの無為〉の境地が、私たちの老いには必要なのではないか。鷲田さんはそう問いかける。10年以上も前の著書だが、なお古びていない。もちろん理想ではあろう。だが、加齢に向き合う心の持ちようとして銘記しておきたくなる

 年をとるにつれ、人の記憶の配置というものは変わっていく。精神科医の中井久夫さんは『徴候・記憶・外傷』でそう指摘する。いわば縦並びから横並びへ。若い頃は日めくりカレンダーのような年代記だが、だんだん時間の順序があいまいな遠近法になり、最後は一枚の絵になる、と。単純化した話ではあっても、なぜか納得させられる

 人生の記憶の画面を眺める無為の時間。それが手に入れば幸せといっていいのだろう。敬老の日に皆様のご長寿を祈りつつ。


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