文体史は文章体にある、それは文章表記体に見る歴史であると国語学の泰斗は言い、国語の静態を指摘した。文体史が文章表記史にあるのは、日本語の歴史に見る特異な現象である。当初は書記としての見方であったが、それを表記行動に写してみるなら、表記の選択には言語の担い手にある想像、創造による作業があったのである。静態に見る規範は必ずしも動態の規範を制約するものではない。表記主体の文体の選択はいつの時代にも言語にある意思の表れである。通史を現在からみるか、時間をさかのぼる、その時点から始めるか、それは出来事による起点でもあるが、その立場によって記述はことなってくることがあるだろう。表記史に漢文か、和文か、あるいは真名文か、仮名文か、それは書記された結果による分類でしかないから、和化漢文の実態を明らかにするのは、漢文と日本文の経過をみるに過ぎなくなり、そこに起こった言語現象の価値判断は困難である。個々の意思に解釈が施されることになるからである。
日本語に漢語が移入されて、漢文を学び、習い、漢文訓読をすることから始まった。そこには文字の模倣があった。日本語発音に合わせた音読みと翻訳をする訓読みと、それを表記する手段を作り出すことであった。漢文に対する位置づけに、漢字書体の草をもって、和文とすることが、文芸の歌によって行われた。漢字音の音韻を得て声とし、その子音を組み合わせた音韻はその母音を響きと簡素化して、文字一字を工夫した。漢文の翻訳文は訓読文として表記されて、文章体を形成する。漢文を崩した日本文は漢字仮名混交文となり、いまの漢字かな交じりを編み出していく。物語文には和歌の文章体が影響し、説話には経典による漢文が表わされ、軍記物には漢文の手法を入れて文体を創成していく。ひらがなが、なにをもって平仮名としたか、真名書きに対する、日本語発音のとらえ方である。仮名書きはすでに漢字との交ぜ書きに移ったからである。こうして、ひらがなによる書記法と漢文訓読の書記法とが行われて、日本語の意識が芽生えるのは、欧文文字の伝来によるところが社会変化にある。
日本語に漢語が移入されて、漢文を学び、習い、漢文訓読をすることから始まった。そこには文字の模倣があった。日本語発音に合わせた音読みと翻訳をする訓読みと、それを表記する手段を作り出すことであった。漢文に対する位置づけに、漢字書体の草をもって、和文とすることが、文芸の歌によって行われた。漢字音の音韻を得て声とし、その子音を組み合わせた音韻はその母音を響きと簡素化して、文字一字を工夫した。漢文の翻訳文は訓読文として表記されて、文章体を形成する。漢文を崩した日本文は漢字仮名混交文となり、いまの漢字かな交じりを編み出していく。物語文には和歌の文章体が影響し、説話には経典による漢文が表わされ、軍記物には漢文の手法を入れて文体を創成していく。ひらがなが、なにをもって平仮名としたか、真名書きに対する、日本語発音のとらえ方である。仮名書きはすでに漢字との交ぜ書きに移ったからである。こうして、ひらがなによる書記法と漢文訓読の書記法とが行われて、日本語の意識が芽生えるのは、欧文文字の伝来によるところが社会変化にある。