日中関係と東アジアの将来と題した講演は、ジャーナリスト30年の経験からの話であった。とりわけ難しいのは国民感情の改善である、と、講演は続いたが、聞きながら、これまでのことを考えてしまった。それは――日中は、双方の反する主義主張で2000年を歩んできている。
元号を歴史年表に見ると、中國では、まず、前漢に武帝 建元、紀元前140年である。新の王莽 始建国 9年、後漢は光武帝 建武 25年と、はじまりがそれぞれある。隋に至って、隋の元号、開皇 581年-600年 となる。唐の元号は、武徳 618年-626年である。
日本は、大化 皇極天皇4年6月 645年から、これは孝徳天皇の時代である、それから、天武、文武、元明と元号を改元して、奈良時代へと歴史がある。この間に、日本と中華の関係があるのだが、遣隋使、遣唐使の使節派遣がそもそもである。
元号の歴史の前にさかのぼって、聖徳太子とする厩戸皇子による、摂政として4回の遣隋使を派遣し、その一回目が600年といわれている。しかし、日本書紀に記録がない。中国の史書によって知るところとなる。
600年、推古天皇8年から、610年、推古天皇18年まで6回と数えるようだ。隋書、東夷伝倭国条に見える。そして607年、推古天皇の国書、日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無きや、を、伝え知ることになるのであるが、隋の煬帝は、蛮夷の書、無礼なる者有り、復たもって聞する勿れ、と、怒ったそうだ。
これには対等の外交が見える。日本がそうであっても、中国がそうは見ないのである。それから、2000年を短絡するのであるが、1400年余にわたって、中華思想による日本にたいする見方そのものである。
何とも飛躍した視点で、ここに靖国神社の問題となる淵源が見える。いまの韓国はなぜ、同様であるかというと、朝鮮半島をも朝貢に列する中華においてはその見方が日本に対してあるのである。それが1000年の歴史のなせる業であるが、当の日本には、それなくして対等なのである。
この2000年に、双方の歩みがあり、ともにその歴史をもっているのは、日本に影響した漢籍による学文、官位、位階の制度に憲法とする律令である。同じように、儒教を入れて、すぐにも仏教をとりいれても、その宗教的感情には違いがあたのである、いわば、天と神との違いである。
飛躍させると、靖国の参拝にあるのは、たがいに持つ宗教感情が理解されていない、それを心の問題などというと、さかなでをするばかりで、宗教を主義において認めない中国には、やはり宗教感情といってもいい中華思想がある。その主張のもとに現在の国家体制がある。
それを人民が支えている、と見えるのであるから、日本にある国民の素朴な感情は伝わらない。同様に、靖国の宮司がしたことは誰も認めることではない、ましてその時に天皇がよしとしなかったのであるから、人道の視点ではないところにことが成ってしまったとしか言いようがない。
靖国神社に出かけて参拝をして、日本の神が何であるかを知ることは、近くの八幡、白山、さらには道祖神をもっても、そこに神はいるのであるから、その宗教感情を知るのは日本人か、八百万神の、八十神、八十万神、千万神がいると思うものだけである。
元号を歴史年表に見ると、中國では、まず、前漢に武帝 建元、紀元前140年である。新の王莽 始建国 9年、後漢は光武帝 建武 25年と、はじまりがそれぞれある。隋に至って、隋の元号、開皇 581年-600年 となる。唐の元号は、武徳 618年-626年である。
日本は、大化 皇極天皇4年6月 645年から、これは孝徳天皇の時代である、それから、天武、文武、元明と元号を改元して、奈良時代へと歴史がある。この間に、日本と中華の関係があるのだが、遣隋使、遣唐使の使節派遣がそもそもである。
元号の歴史の前にさかのぼって、聖徳太子とする厩戸皇子による、摂政として4回の遣隋使を派遣し、その一回目が600年といわれている。しかし、日本書紀に記録がない。中国の史書によって知るところとなる。
600年、推古天皇8年から、610年、推古天皇18年まで6回と数えるようだ。隋書、東夷伝倭国条に見える。そして607年、推古天皇の国書、日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無きや、を、伝え知ることになるのであるが、隋の煬帝は、蛮夷の書、無礼なる者有り、復たもって聞する勿れ、と、怒ったそうだ。
これには対等の外交が見える。日本がそうであっても、中国がそうは見ないのである。それから、2000年を短絡するのであるが、1400年余にわたって、中華思想による日本にたいする見方そのものである。
何とも飛躍した視点で、ここに靖国神社の問題となる淵源が見える。いまの韓国はなぜ、同様であるかというと、朝鮮半島をも朝貢に列する中華においてはその見方が日本に対してあるのである。それが1000年の歴史のなせる業であるが、当の日本には、それなくして対等なのである。
この2000年に、双方の歩みがあり、ともにその歴史をもっているのは、日本に影響した漢籍による学文、官位、位階の制度に憲法とする律令である。同じように、儒教を入れて、すぐにも仏教をとりいれても、その宗教的感情には違いがあたのである、いわば、天と神との違いである。
飛躍させると、靖国の参拝にあるのは、たがいに持つ宗教感情が理解されていない、それを心の問題などというと、さかなでをするばかりで、宗教を主義において認めない中国には、やはり宗教感情といってもいい中華思想がある。その主張のもとに現在の国家体制がある。
それを人民が支えている、と見えるのであるから、日本にある国民の素朴な感情は伝わらない。同様に、靖国の宮司がしたことは誰も認めることではない、ましてその時に天皇がよしとしなかったのであるから、人道の視点ではないところにことが成ってしまったとしか言いようがない。
靖国神社に出かけて参拝をして、日本の神が何であるかを知ることは、近くの八幡、白山、さらには道祖神をもっても、そこに神はいるのであるから、その宗教感情を知るのは日本人か、八百万神の、八十神、八十万神、千万神がいると思うものだけである。