あげつらう、というと、議論する、論じる、という語と類語となる。わたしたちは、あげつらうことを好しとしない、それを好まない。だから、議論しようといっても、議論にならない。ディスカッションと言えば、カタカナ語であるが、話し合いのようなことをする。学者の論議はあげつらいを行うことである。ディスカッションをしても熟議となってもそこには議論の正当性だけを言い続ける状況となって、批判がない限りは、あげつらいはおさまらない。あげつらうのはよいとして、枝葉末節になると、言わないでもいいことを言いたてることになるし、もっと困るのは学者の論議で論点がすり替わったり、議論の方向が変えられたり、議することが目的となってしまったような、異なった議論をしてそれを利用することだ。学者が議論して利用されるとはどういうことか。
安保法案あげつらう余裕はない、と題して、いま起こっている時事に、それを解説する、正論がある。正論というのは、メディアのコラムの名前である。それは先月、6月にあった、国会で審議された安保法制関連法案についてののできごとを、指摘する。それは、3人の憲法学者が憲法違反と指摘したことがあったが、その日の憲法審査会のテーマは立憲主義で安保法制関連法案ではなかった、というのだ。
2015.6.17 05:01
【正論】安保法案あげつらう余裕はない 麗澤大学教授・八木秀次
http://www.sankei.com/column/print/150617/clm1506170001-c.html
>直接関係のないテーマについて民主党の議員が質問し、3人の憲法学者が応じた形だ。政治的意図を感じる。
そもそもメディアが国会審議で議論をするものをマスコミとして議論誘導をする報道があってはならない。まるで、憲法違反を断じる学者たちは司法でのその行いをなんだと知っているのだろうか。またそれを、事実を伝えるだけであるとしても、一方でデモ集会の流れを支持するような扱いようが記事になり、世論調査の数字を武器にする毎日である。とにかく変えなければならない、そのためにいわなければならないといった、報道姿勢には議論が形を変えて、新聞社が主張するあげつらいがあるだけである。
あげ‐つら・う〔‐つらふ〕【▽論う】
[動ワ五(ハ四)]物事の理非、可否を論じ立てる。また、ささいな非などを取り立てて大げさに言う。「人の欠点をいちいち―・う」
[可能]あげつらえる
出典:デジタル大辞泉
議する ディスカッション 談論 話し合う 論議
あげつらう 論う
〈論じる〉 take [bring] 《a matter》 up for discussion; discuss something 《with somebody》; comment on something
〈批判する〉 criticize.
2015.6.17 05:01
【正論】安保法案あげつらう余裕はない 麗澤大学教授・八木秀次
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ある憲法学者に「『憲法の先生』と名のると笑われること」と題するエッセーがある。久しぶりの同窓会などで、「何を教えているの?」と聞かれ、「法律だ」と答えると、「ほう」と恐れ入ったような顔をする。「専門は?」と深入りされて「憲法だ」と答えると、どういうわけか「アッハッハ」と笑われるというのだ。もちろん嘲笑だが、著者は理由を「ひょっとしたら、憲法を楯(たて)にとって、笑われても仕方のないような非常識なことをいう人が少なくない上、憲法学者までそれにまじっているのではないか、と思われてきた」と分析している(尾吹善人著『憲法徒然草』三嶺書房)。
≪ポツダム体制下での現行憲法≫
現在、国会で審議が行われている安保法制関連法案について、今月4日の衆院憲法審査会で3人の憲法学者がそろって「憲法違反」と指摘したことで、野党や一部のメディアが鬼の首をとったように騒いでいる。同日の憲法審査会のテーマは「立憲主義」で安保法制関連法案ではなかった。直接関係のないテーマについて民主党の議員が質問し、3人の憲法学者が応じた形だ。政治的意図を感じる。
現行憲法は、わが国がポツダム宣言を受諾して第二次世界大戦に敗れ、連合国の軍事占領を受けている中で制定された。戦後の国際秩序は連合国が中心になったもので、一般に「ポツダム体制」と呼んでいる。そこにおける日本の位置付けは、連合国の旧敵国で、「米国及び世界の平和の脅威」(米国の初期対日方針)というものだった。そしてそれを固定するものが現行憲法であり、とりわけその9条2項だった。
憲法の原案を起草した連合国軍総司令部(GHQ)民政局の次長だったチャールズ・ケーディスは憲法制定の目的は「日本を永久に非武装のままにすることだった」と後に語っている(古森義久著『憲法が日本を亡ぼす』海竜社)。9条2項が戦力の不保持や交戦権の否認を規定したのは日本にそのようなものを持たすと悪事を働き、世界平和の脅威になるという認識に基づいていたからであり、そのために「非武装」にしようとしたのだった。憲法改正の要件を世界有数の厳しいものにしたのも非武装を「永久」のものにするための措置だった。
≪サンフランシスコ体制へ≫
しかし、「ポツダム体制」は長くは続かなかった。連合国が内部分裂し、東西冷戦すなわち自由主義対共産主義の激しい対立が発生した。東アジアではそれが朝鮮戦争として現れ、これによって米国の対日認識も大幅に変わった。
日本は世界の平和を脅かす旧敵国ではなく、自由主義陣営の一員として共産主義と闘う同志であり、共産主義への防波堤となることが期待された。朝鮮戦争が始まったのは昭和25年6月だが、GHQは日本政府に命じて警察予備隊を8月に発足させた。再軍備の始まりだ。警察予備隊は保安隊を経て自衛隊へと発展していった。
昭和26年9月、日本は自由主義諸国とサンフランシスコ講和条約を結び、同27年4月に同条約が発効し、主権を回復した。講和条約締結と同時に日米安保条約も結ばれ、日米は同盟関係になった。「ポツダム体制」が崩壊した後に日本が属している国際秩序を「サンフランシスコ体制」と呼ぶ。
日本国憲法は「ポツダム体制」における日本の立場を固定するために制定された。しかし、前提となる「ポツダム体制」は崩壊し、代わって誕生した新しい国際秩序「サンフランシスコ体制」に基づいて安全保障体制は築かれた。
≪「憲法残って国滅ぶ」の愚≫
憲法の規定と実際の安全保障とがその立脚する体制・原理を異にするのであるから、その矛盾を解消しなければならない。
矛盾解消の動きは昭和29年の鳩山一郎内閣から始まった。3度の国政選挙を憲法改正の是非を争点に戦ったが、改憲の発議に必要な議席は得られず、改憲は棚上げされ、一度の改正もなされず今日に至っている。96条の改正要件があまりに厳しいためだ。
憲法の規定と実際の安全保障体制との間に齟齬(そご)・矛盾があることは誰にもわかる。しかし、憲法を楯にとって安保法制関連法案の非を論(あげつら)っている余裕が今のわが国にあるだろうか。中国は南シナ海の岩礁を次々に埋め立て、軍事目的で使用することを公言している。米国何するものぞという勢いであり、余波が東シナ海に及ぶ可能性は高い。
安全保障のリアリズムの考えによれば、力と力がぶつかるときに均衡が生じ、平和は訪れる。わが国が主権を維持し、中国との戦闘を避けるためには日米関係の強化が不可欠だ。それが戦争を避ける抑止力になるからだ。そのための措置が安保法制関連法案だ。
憲法との矛盾は誰にでも指摘できる。しかし、わが国は生き残らなければならない。「憲法残って国滅ぶ」では困るのだ。矛盾を矛盾と知りつつ、知恵を出すのが常識ある憲法学者の役割ではないのか。世の嘲笑の対象になることは避けなければならない。(やぎ ひでつぐ)
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