現代日本語「誤」百科 956 自然を色濃く残している を例題にしている。色濃い という表現につき、コラムは解説して、自然が色濃いと結びつかないとするが、例題は、色濃く残す の語形であって、濃い 形容詞でとらえる場合と、濃く 副詞でとらえる場合とで、その表現性が異なるから、この説明にはやはり、無理があって、文法、語性をよく考えなければならない。形容詞の副詞的用法を、ともすれば国語の解釈のままで日本語のように分析している。自然を残している、色濃く残している という状態から、この表現をおかしく感じることはまずないだろう。自然がそのままであればとくに変化しないとまで言うならば、それを残しているのだから、色濃く、と言ってよいのである。用例検索をしてヒットする場合に見られる、いわば、自然色、景観色のようなものだけでなく、時代、面影、不安などその結びつきは用例として広くみられるところである。 . . . 本文を読む
現代日本語「誤」百科 959 風圧が起こる を例題にしている。この例題は文脈や場面が言及されないことがあって、この用例がどのような表現であるかがわからない。そこでサイトの検索をすることになるが、その場合でも、表現の正誤を説明するには、コラムの言う論理がそのまま当てはまるのかどうかはわからない。しかし、ほとんどの場合には、限られた説明ではそうだと言いきれない。つまり、何をもって誤百科とするか、表現によって意味内容があらわされて、言葉としての使い方には新しい工夫があったりする。風圧によっておこる現象が可視的であれば、例題については間違っているわけではない。台風が起こることをわたしたちは、そのように表現することがある。風が起こることが、然りとなる。例題の検索でヒットするのは、ゲーム機の技の解説にあるし、ゴルフのショットにもある。まして、ヘリコプターによる風圧は起こるというにふさわしいものであるし、実感もできるだろう。 . . . 本文を読む
現代日本語「誤」百科 967 一個も面白くない を例題にしている。数えられないものに使うのは不適だとし、一個も、の副詞用法を認めないのがコラムの解説である。検索してみると、ブログ名でヒットする。またテレビ番組による感想の一言である。いずれもその用法を見ていくとはなしことばであったり、強調表現としての要素があって、個数を示しているものではない。ここから連想できることは、方言的な要素があるかどうかということであり、共通語となるには、ぜんぜん、という言いかえがあるように、否定の呼応があって、ひとつも~ない、 ちっとも~ない、 という表現が考えられる。コラムの解説がこの語の表記によって、一個と数え立てるように捉えたのは、打消しwともなった言い方に着目をしていたかどうかである。いっこない いっこもない この違いに及ぶべきであろう。 . . . 本文を読む
現代日本語「誤」百科 966 価格が引きあがった を例題にしている。
引きあがる という語は、ないと、コラムは解説する。
実際に、引きあがる 引き上げるの用例を検索する。消費税の増税を踏まえた、、引きあがる、という語がヒットする。
税金を引き上げる 税金が引きあがる という表現が使われる。
自他の関係で言えば、複合した語の自他対応について、上げる、上がる、を後項とする語彙的複合動詞ということになる。
これを取り上げ、花火を打ち上げる、花火が打ち上がる、のように、対応する動詞を並べるものがある。
そこでコラムの解説のように、引き下げる 引きあがる この対応において、引っ張るの意味ではなくて、後退すると言う解釈はいかがか。
それを認めて、同様に、引き上げる は、上昇する意味であると言えばよい。ただ、引っ張るの意味ではないとは規定できないだろうが。、 . . . 本文を読む
現代日本語「誤」百科 964 いさぎがいい を例題にしている。例題は数年前から誤用例としてサイトなどで説明があり、いくつかヒットする。2005年のブログ日付があるから、そのときから8年になる。いさぎよい、と、いさぎがいい、と、ふたつの語構成の問題である。正しくは、潔い、と表記すれば、一語の形容詞であることがわかる。いさぎがいい については、いさぎ、という語があるかどうかの問題で、語の成立から言えば、このような単語がないということがわかる。すなわち、いさ、または、いた、きよし、という語構成の説明がある。いさ、については、明らかでないところもあるが、いた、については、いと、となる、甚だしいの意味が加わるとして、語源として解説される。 . . . 本文を読む
現代日本語「誤」百科 952 事故のけがは軽かった を例題にしている。コラムの解説は、XのY、について、Xと、Yとの間に必然的な関係をとらえると説明する。事故と怪我は必然的な関係がないというようだが、学校の成績についても学校の遅刻についても、必然的関係の、XとYのあいだにあるものをいうもの、その有無を言うものでもない。学校の成績については、試験の成績、科目の成績などを意味するし、学校の遅刻については、授業の遅刻、始業の遅刻などを意味している。これは普通の日本語の使い方であるので、事故のけが というのを適切でないとする説明は成り立たない。事故によるけが に言い換えることは、それはもちろんのこと、可能であるから、学校での成績、学校への遅刻、などと使うこともできる。連体修飾の、~の~ による用法には、使われる文脈によってさまざま、解釈ができるので、この用法は文脈、場面によって詳しくできる。 . . . 本文を読む
日本語「誤」百科 963 事故の通報を警察から得た を例題にしている。どうも説明がわからないコラムである。解説に、通報を得る というのが問題だとする。得る という動詞は、ものをほしいと思って働きかけた結果において、自分のものになるので、通報のように突然入ってくるものには適さないとする。得る について、辞書義に、最初に努力して得るについて意味を掲げるデジタル大辞泉は、また、下接句を例示して、>[下接句]簡にして要を得る・九死に一生を得る・御意(ぎょい)を得る・志(こころざし)を得る・事なきを得る・力を得る・時を得る・所を得る・名を得る・万死(ばんし)の中(うち)に一生を得る・要領を得ない・我が意を得る・蛟竜(こうりょう)雲雨(うんう)を得(う)・虎穴(こけつ)に入(い)らずんば虎子(こじ)を得ず・二兎(にと)を追う者は一兎をも得ず などをあげていて、その用法のさまざまであることがわかる。説明が当たらないのであるが、ふと、ここまでで、コラムの説明をニュース放送の慣用表現として思い合せる。 . . . 本文を読む
日本語「誤」百科 962 未来へ向けて動き出す を例題にしている。コラムの解説では、向けてだけだと何を向けるのかわからない 特定することすら難しい と説明するのであるが、これは内容としての説明になっていないのである。つまり、この例題はそこまでを表現していないため、ある文脈、その場面の切り取りをとらえているだけだからであって、コラムのスペースが限られているということで、致し方がないとしてきたが、これでは誤百科というための例題が不完全であることをもって、どのようにも日本語に対する不自然さを解説することにはならないだろう。そのことを、ずっと指摘してきていたのであるが、それではだめだという思いから、そのための用例を検索してきて、この例題もヒットしたところでは、~へ という方向性を表わしていて、これが不自然とする表現ではないことがわかる。何よりも、この 向ける という語義の解釈を辞書義としてみて、コラム筆者の理解は間違っていると言わざるを得ない。すくなくとも、いくつか載せている語義について適用できるかを考え直すべきである。さらに、向けて について、向かって に、直すとよいとしているのも動詞の意味がその方向を目指すというようになるのであるから、その表現性を用例にもどして検討されなければならない。 . . . 本文を読む
現代日本語「誤」百科 961 無茶で破天荒な行動 を例題にしている。破天荒を、豪快、乱暴の意味で使うと指摘しているコラムである。国語に関する世論調査の結果を踏まえれば、3人に2人が、この語句の用法を、豪快で大胆なようすと答える。そこで、本来の意味で、誰もが成し遂げなかったことをするという故事に基づく意味内容を説明して、そのように使うべきだとする。破天荒の試み については、辞書義、その用例のままである。いま例題だけで、この語の使い方を説明するなら、破天荒の行動 そのものの用法が間違っているわけではない。コラムはその説明を解説するわけだから、例題にしているに過ぎないというものの、やはり、この「誤」百科の解説は日本語についての誤解を広めていると言ってよいだろうか。例題は必ずしも間違いとは言えないにもかかわらず、あたかもまちがえているかのごとく、問題にするような解説は、例題の表現を誤解させる説明になっている。 . . . 本文を読む
現代日本語「誤」百科 960 ジェラートはスタッフのお任せ を例題にしている。コラムの解説では、スタッフのお任せ という表現が誤りだと言うようである。
スタッフにお任せ と言えば、良いようである。
このどちらの表現でも言えるし、スタッフにお任せ と言うところを、スタッフのお任せ としている。
これは、誤りではないので、コラムがしている説明はどうか。
スタッフのお任せ について、主体は、スタッフが任せる、と言うように理解している。
この主体をここで取り違えている。
お任せコース を説明にしているのだから、この、お任せ と言う表現も店に主体がある。
わたしにお任せ、と言っているようなものなので、その主体を誰にとるかは、慣用表現とすると、
明らかに客が店に任せることである。
すると、スタッフのお任せ、店のお任せコース と同じ表現であることを意味する。
つまり、客がスタッフに任せることを、ここは意味している。
これをコラムが、主体を取り違えていて、誤って説明する。
解説は誤りだとわかる。 . . . 本文を読む