現代日本語「誤」百科 878 主張性が見え隠れする を、例題にしている。コラムの解説は、主張 と、~性 の結びつきを、結びつかないとする。そうかなぁと、思ってしまう。確かに、例に上がっている、断言、約束、命令には、~性がつかないかな、と思って検索すると、約束性 命令性 は中国語でヒットした。それで、主張性、は、かなり使われている様子がある。その主張性を、成長がともなって現れる主張のことのようである。英語訳のあるところだから、概念としてその分野で用いられている。幼児の主張性と協調性となると、何ら違和感がないから、これはあり得る表現である。見えかくれする という言い方などは、ぴったりのようだ。はたして文例がどの文脈で用いられたかがわからないので、例によって、使われているのを誤用だとして決めつけるような論理はなかなか、そうだというわけにはいかないだろう。コラムで作られた論理はまあ良いとしても、あてはめるにはいたらない。
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日本語が日本「誤」であるというコラムは、文字の遊びであるが、コラムの連載を読み通していくと日本語が日本誤であると思わされてしまう。説明の論理が、コラムの日本誤という間違いであることを言うためにつくられるので、それに従えばすべて間違っているというわけである。わたしたちがおこなう操作で気を付けなければならないことで、誤りの論理を現象に当てはめれば、その現象で見えてくることはすべて誤りとなる。それは自らが立てた理屈に自らが縛られていることになる。しかしまた、その正しさを言うためには、その論理で証明できる例を挙げることになる。誤用例が誤用であることの証明である。その語が用いられた文脈で正しいか、誤りかを検証することである。人々が使う言葉遣いにはその使い手の用法がある。それはまた多くの人々が使う用法でもあるので、おのずと間違った、間違っている使い方は淘汰される。したがって用例の採集は重要なことである。作例に頼らずに言語の現象をありのままに見つめることである。 . . . 本文を読む
現代日本語「誤」百科 877 すべてに妥協しない を、例題にしている。すべてにおいて妥協しないという意味である。コラムの解説の通りだが、すべてに を、対象として理解しているようであるが、それはそれでいだろう。全部と妥協しているのであるから。妥協する という語が、~と妥協する というのもその通りである。するとここは、コラムの解説で、なにがおかしいとすべきか、なにもおかしくないのである。コラムの説明では、この例題をとらえて、日本「誤」であるとするのはコラムのこの論理では困難だ。妥協という語を、言い換えて、折り合いをつけるとか、譲歩するとか言ってみて、すべてに折り合いをつける、譲歩する、などと言うことはあり得ないとでも言えば、そんなことは成り立たないので表現上の形容矛盾が起こるとなるか。全てに を、どう理解するかである。 . . . 本文を読む
つーかー、つう と言えば、かあ であった。ツウことだ、そうカア、それでツーカーのなかだったりした。それがいまは、その かあ が、なくなってしまった。それで本題は、つーか とだけ言って、と言うか の言いさし表現となっている。フィラーとしての言い方、内容に影響しない語のことを、発話の間をつなぐ働きをする語があって、一般に、話しことばに現れるとされるが、日本語の、あのう、ええと、などを言う場合があって、また、言いさし表現としての、終止しないで言い終わる、その文を言い終わらないで用いる表現のこと、たとえば、お願いがあるんですが・・・、悪いんだけど・・・などを言う。つーか は、フィラーなのか、言いさしなのか、・・・つか と言う用法も見たような気がする。 . . . 本文を読む
現代日本語「誤」百科 863 母はわたしを妊娠した を、例題にしている。コラムの説明は妊娠の語義に子が含まれるので、子供を宿すと解釈している。おかしいことである例題の語義解釈に誤りがある。例題について、わたしを子どもを宿す とするが、これを不適切だというのは、このコラムが立てた論理の説明のことであって、語義解釈を辞書によっても、適切な表現としていることも、日本語としての理解が問われるだろう。 >母親が理解できん。新婚3ヵ月でハネムーンベビーな私を妊娠した。 この表現は、わたしを宿した という場合でも、その事実をとらえてそれがいまのわたしであることを言う。そして妊娠期間があるので、子を宿している 子を妊娠している と言うことがある。漢語を日本語にしたため、球を打球する というようなことは、もちろん表現上の経済性から言ってもしない。 . . . 本文を読む
誤用はわざと間違えることである。用法を誤ることという意味もある。現代語「誤」百科は誤用例を正しくする意味を持つと考えるが、そのためには用法を誤っている前提があって、その使い方がある。それがどうして誤っているかを議論するものだろう。ところが使い手にわざとそうする使い方があれば、それは誤用といえるかどうか、辞書の言うように、悪用である。言語の使用でいえばまずそういうことがない。言葉の悪用などがおこなわれるとして、嘘、詭弁、偽り、曲解などならべても、それは通用しないのが普通である。そこで誤用例の研究があって、それは何か。日本語の誤用研究、誤用研究 error analysis は、学習者がおかす誤りについて、どのような誤りが存在するのか、なぜ誤りをするのか、そして、どのように訂正すればよいかなどを考え、日本語教育、日本語文法理論などに役立てようとする研究と説明する。誤用研究では、従来、文法的正確さに関わる誤用が重要視されてきましたが、現在は、伝達、コミュニケーションということを重視し、それらに関わる誤りについても重要視され始めているそうだ。日本語の誤用研究
www.jpf.go.jp/j/japanese/survey/tsushin/dw.../tushin40_p14-15.pd . . . 本文を読む
現代日本語「誤」百科 876 膨大に節約できる を、例題にしている。検索してみると、膨大なデータ、膨大なエネルギー、膨大なコストなど、節約する、節約できるという語とヒットする。文脈で、膨大に節約できる というふうに修飾する語法は見当たらないようだが、その対象が膨大であることを強調した物言いとなり、とくにコンピュータがらみのデータとなると表現は膨大としか言いようがないのだろう。この例題を、ある語との連想で捉えてしまったのだが、針小棒大の4字熟語である。膨大がもちろん違うわけだが、膨大に言っているのだろう、針小棒大だと笑ってしまったが、コスト計算などの積み重ねはやはり量的に処理をすると膨大と言わざるを得ない現代のさまざまな事情だ。ケータイ料金の比較広告で年間コスト削減に1年分とか家族分とかのまとめで現わしていたのが、縛り契約の2年分でいってみたり、家族の数を3代にまで及ぼす人数計算で表しているのも膨大なことだと実感してしまう。 . . . 本文を読む
現代日本語「誤」百科 875 わたしは都会の喧騒を離れた を、例題にしている。まず例題が、おかしいと言うので、これが日本語で意味をなさないかどうか。喧騒から離れた、と言えば、それでどうしたかなと、思うような表現ではあるが、それでも、その状態にあることを理解する。コラムの解説は、喧騒を離れた場所 というふうに、状態の表現ならあると言っているのだから、これが表現として成立する。眼鏡をかける 眼鏡をかけた かけた眼鏡 かけている眼鏡 それぞれに意味内容がある。例題を、喧騒を避けた というふうに言えばよいとする説明は、語の違いで意味情が異なるが、それはそれで言えるということだけである。 . . . 本文を読む
現代日本語「誤」百科 874 この間、主人は茶碗を取り出した を、例題にしている。例題は、まず、どう読むのだろう。コラムの解説は、先日、さきごろ と、同じ意味で、さらには前のことがらが継続する期間としている。茶碗は取り出すのは一瞬だから、この間 とは、結び付かない、この言い方は、この時 であればよいそうである。コラムは用例をどう取り出してきたか。このかん このあいだ ふた通りの読み方があり、意味もことなる場面で用いることができる。この用例だけを見せられたら、どう読むべきか、国語力を試されるようなものだ。そして、指示語の、この がなにをさすか。ある点からある点までの時間と理解してよいので、その場面文脈において国語を理解すれば、何か事が起こっていて、その間のある時点で、主人は茶碗を取り出したと言うことでよい。茶碗を取り出すのは瞬時であって、それが続いている表現ではない、出来事のあいだにおいて、その間に である。 . . . 本文を読む
現代日本語「誤」百科 873 出来心で男と知り合いになる を、例題にしている。コラムの解説では、出来心で男と知り合いになることができないようである。意図的、偶発的な出来心は悪事であったとしても、出来心で詐欺はできないと言うのだが、それは用意周到であると言うことのようだ。また、できごころで知り合いになると言うときに、出来心はその知り合うことについて悪事でもない、自分の意志だけではどうにもならないので、出来心にならないそうだ。なんともまあ、できごころが悪事へとおいやられてしまった解釈である。辞書の説明などに、あらかじめ計画していたのではなく、その場でふと起こした考えであり、もののはずみでふらふらと起こった考えとあるから、その程度のことで男と知り合うことはあるだろう。その結果が悪い場合、他に迷惑をかける場合にいうとなると、そうなってしまった場合、つまりその結果がよくない、知り合い方もあるわけで、そもそもこういうような表現が現れる場面や文脈があるのではないか。また計画的でなく、その場で急に起こったよくない考えとするのは、できごころがすべて盗みなどの結果を持つからだろうが、気軽に交際をすすめるようなサイトや情報の世の中で、起きた事件の結末などで、偶然男と知り合うばかりではない情況があるのである。 . . . 本文を読む