五重塔の数は国宝十一基、重要文化財十四基を含め全部で四十七基ある。
単に観光用のものまで含めればもっと多くなる。
本来は、仏舎利塔でインドでは饅頭型だった。漢代に中国に伝わり、木造でも
作られるようになり、三重、五重のものも作られた。日本には朝鮮半島を
通り、伝わったが、現在では中国に一基、韓国に一基残っているに過ぎない。
日本ではそれが寺院だけでなく神社にまでつくられるようになった。
日本のような地震国に何故、これほども五重塔が出来るようになったのか。
地震国だからこそ塔の数が多いのではないかと思えるところがある。
一度、建てられて、これまでに無くなった塔は五基あるが地震で倒壊した
ものは一つも無く、取り壊されたものが一基、焼失したものが四基。
幸田露伴の小説「五重塔」のモデルとなった東京谷中天王寺の塔は
関東大震災や東京大空襲でも無事だった。が、なんと1957年の「放火心中事件」
で焼失してしまっているのである。
京都で最古の木造建築とされる醍醐寺の五重塔は阪神大震災でも、僅かに壁の
漆喰がはがれただけで済んでいる。
今回に東日本大震災でも、青森、岩手、宮城、福島にある五重塔は全て
無事であった。
玄侑宗久著「うゐの奥山」から
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