かみふじこうじさんと言う人が【今日の漢字】と題して以下の
ような文章を書いておられる。
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新聞を読んでいたら、「親」という漢字が目に飛び込んできた。
じっと見ているうちに、いろんな思い出がよみがえってきた。
小学校のとき、高校のとき、大学のとき、社会人になっても
常に、親から心配されていた。(今も)
また、自分が子どもだったときは元気だった両親も最近は、
テレビの音量が大きくなったり、「膝が痛い」など
年齢からくる症状を耳にする。
結婚する前までは静かな家族だったが、今は、結婚して
子供ができ、孫の話題で両親もよくしゃべるようになった(^^)
先日、私が初めてテレビにでたときも、
珍しく親から電話がかかってきて「良かったよ!」と
褒めてくれた。
褒めてもらったのは数十年ぶりだったので、本当に嬉しかった。
そういえば、
「木のかげに隠れて立って、子どもの成長を見守る」のが
「親」と習った気がする。うちの親もそのとおりだった。
最近は、「木の上に立って、子どもや学校を監視している」
「親」もいるようだが。
今では、私も3人の子どもの親となり、子どもに背中を見られる
立場になっていることを実感している。
「木のかげに隠れて立って、子どもの成長を見守る」ようにしたいが、
たまに木の上に立ってしまう自分もいることに気づく。
この漢字、どういう想いがよみがえりますか?
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と言う文章だ。
「木のかげに隠れて立って、子どもの成長を見守る」のが
「親」と習った気がする。
このような意味でこの「親」と言う漢字は出来ているのではない。
立の部分は辛が本当の形で取っ手の付いた細い剣に似た針である。
これを木に突き刺したのが親と言う漢字の旁の部分である。この木を
神木として選んだ事を意味する。その神木に家族神の名を書くのである。
親が死んだ場合は神となり、その名を書き、それを見る、つまりこれに礼拝
するのである。言わば、位牌を拝んでいる事を示している文字が
親と言う漢字の成り立ちである。
ついでながら、選んだ神木を斤で切り出したのが新と言う文字で
切り出した後、残った葉の付いた木が薪である。
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