読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

4・日本女子留学事始

2012-05-11 10:40:19 | 漢字
その後、使節団はワシントンに向かった。その頃には、5人の娘達は
アメリカの洋服を着こなし、アメリカ流の礼儀作法を身につけて、
ワシントンでも「立派なレディ振り」と絶賛された。

 しかし、そのうちに15歳の娘二人はホームシックから体調を崩し、
日本に帰された。残る3人は1872(明治5)年10月末、それぞれ別々の
アメリカ人家庭に引き取られて、教育を受けることとなった。

 捨松はニューヨークとワシントンの間にある美しい町ニューヘイブンの
ベーコン牧師の家に寄宿した。ここは1638年にボストンの清教徒の一部が
イギリスの支配から逃れて作った町で、敬虔かつ教育熱心な土地柄であった。
名門エール大学もこの地にあり、ここに次兄・山川健次郎が留学していた。

 会津藩の質実剛健な武家で育てられた捨松は、謹厳で質素な土地柄、家柄に
よく合ったのだろう。ベーコン牧師は「優しい子で信頼がおけ、私達は
皆すっかり彼女の虜(とりこ)になってしまいました」とスイスに住む息子に
書き送っている。

 身体が弱く、ほとんど家に籠もっていたベーコン夫人は、素直で頭の良い
捨松に勉強を教えることに生きがいを見出し、すっかり明るくなった。

 捨松も2歳年上の末娘アリスと姉妹のように仲良くなった。
ベーコン家の向かいに住むエール大学のホイットニー教授の娘マリアンは、
捨松より2歳ほど年下で、毎日のように一緒に遊んだり、勉強したりする仲になった。
マリアンは、後にこう回想している。

 捨松は、ほっそりとして優しい感じのする女の子でしたが、いつも元気一杯で
どんな遊びにも喜んで入ってきました。かけっこが早く、木登りもとても上手でした。
泳ぎも素晴らしいものでした。

 捨松は、こういう溌剌(はつらつ)とした生活を送りながら、ベーコン家の実の娘のように元気に育っていった。


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