始皇帝はそれ以前の旧中原諸国の築いた長城を繋ぎ合わせ、北西に延ばし
さらに、東は遼東地方から、西は甘粛省の臨洮に至る五千余里の万里の長城を
完成させた。その万里の長城に取り囲まれた領域は現在の中国の版図とほぼ
一致している。従って、万里の長城は、それにより夷狄の侵入を阻止すると言う
軍事的な意義よりは、寧ろ所謂「中国人」の生活空間を設定した、つまり縄張りを
作った政治的、文化的な意義が大きかった。その意味で始皇帝は政治的、文化的
に「中国人」の始祖と言えた。この後、始皇帝は度量衡、通貨、車軌、文字の統一
を進めていった。これらの統一により、就く文字の統一は中国人の社会的な
連帯感を生み、この意味でも始皇帝は中国人の宗祖でもあった。
安能 務著「始皇帝」文芸春秋社から
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