読書など徒然に

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理解に苦しむ中国デモ隊の反日過激行動、wsj日本版から

2012-09-20 08:50:42 | 新聞
wsj日本版から

中国の多くの都市で過去数日間、デモ参加者が日本企業を襲撃したり、放火したりしているが、理解に苦しむ行動だ。「平和的」なデモ参加者でさえ、激烈な文言を記した横断幕を掲げ、中には日本せん滅を求める横断幕もあった。一体何のためか? 

日中両国は現在、中国で釣魚島、日本で尖閣諸島と呼ばれる東シナ海に浮かぶいくつかの無人島をめぐってもめている。これらの島々は米国が1972年に(沖縄と一緒に)日本に主権を返還したものだ。米国のパネッタ国防長官でさえ、18日に北京の米大使館の外で小規模な抗議活動に見舞われた。米国の同盟国である日本に軍事支援を行っている罪で抗議を受けたのだ。支援の中には米国がミサイル防衛のため、日本に2つ目の高性能「Xバンド・レーダー」を配備するとの発表も含まれている。 

 前回、中国各地で大規模な反日運動が起こったのは2005年だった。当時も、今回と同じような疑問が提起された。北京(中国政府)がどの程度、抗議活動の指揮をとったかだ。その答えは完全には明らかでない。中国国営メディアは当初、憎しみの炎をあおっていたが、その後沈静化を試みている。警察はデモ参加者に行動の自由を与えたが、怒りをはき出したら帰宅するよう命じた。 

 この二重のアプローチは中国政府の対応の典型である。同国共産党は反日感情をくすぶらせ続けることによって恩恵を受ける。それは共産党の歴史的正統性が日本の侵略者を駆逐し(あるいは駆逐したと思われており)、中国を世界における適正な地位に復帰させたところに由来しているからだ。しかし中国政府は、日本政府に対する態度が生ぬるいとデモ参加者に非難されないようにしながら、日本に対する怒りが度を越さないようにしなければならない。

 一方、日本のナショナリストも過去の戦争の遺産への対応を難しくしている。05年当時の論争は主として、第2次世界大戦中の日本の残虐行為を言いつくろった日本の教科書の是非だった。今回は石原慎太郎東京都知事が尖閣諸島を民間地主から購入すると提案した。石原氏は極端なナショナリストで、彼がトラブルを引き起こしかねないと懸念した日本政府が介入して尖閣諸島を購入した。 

 野田佳彦首相はこうすることによって、北京との摩擦を最小限にするため責任ある行動をしたといえる。ところが中国はこれに飛びつき、日本の挑発行為だと主張した。北京が尖閣諸島の領有権を主張し続けるには、恐らく何らかの形の外交上の抗議が必要だったのだろう。しかし、同国は軍事的な小競り合いのリスクを高める措置を講じた。14日には何隻かの沿岸警備船と漁船が日本の沿岸警備船とにらみ合い、17日には中国メディアは漁船の大群が尖閣諸島に向かっていると報じた。 

 これらは全て中国政府が自国経済の悪いニュースや当惑せざるをえない政治スキャンダルから自国民の目をそらそうとしていることを示唆している。だが中国のナショナリズムの深さを過小評価したり、共産党の行動を純粋にシニカルにみようとするのは誤りだろう。 

 学者Guo Yingjie氏が書いたように、現代中国には2種類のナショナリズムがある。文化的ナショナリズムと政治的ナショナリズムだ。文化的ナショナリズムは伝統の温存と、中国人であることの本質とみなされる価値を強調する。政治的なナショナリズムは主権を防衛できる強力な国家の建設に集中し、伝統文化を発展の障害とみなす。 

 こうした2つの見方の衝突は、外国文化との愛憎関係を生み出すとともに、アイデンティティの危機を生み出したとGuo氏は考える。近年、共産党はこれらを一緒にしようとして、儒教的価値観を統合した「中国モデル」を称賛してきた。

 しかし、ネイティビズム(排外主義)への復帰は、外国思想の採用と、イノベーション(技術革新)に基づく経済への次の歩みに必要な改革を阻害しかねない。これまで中国は、ソ連がかつてそうしたように、国際的な現状を覆そうとまではしていないが、このような新たな超ナショナリズム(国家主義)は現状を変化させる恐れがある。

 究極的に中国は、外国貿易や投資を育んで安定的で理性的で信頼できる大国としての評判を得るという国益よりも、ナショナリスト的な衝動を優先したことによって、代償を支払うだろう。

 問題は、中国の指導者たちがその最悪の衝動を抑えようとしないならば、その代償が高価にならざるを得ず、その代償を支払わなければならないのは中国以外の何者でもない、ということだ。



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